ある曲を聴きすぎて、歌詞にある「味気ない」について考える。
なんで味気がいるんや。
「味気ないとか言ってる人が味気ない」とかなんとか言われそう。
言葉の意味をつなげていくと、味気→味わい→趣→風情→どことなく哀れな様子→同情(を誘うようなさま)→自分のことのように思いやって労る、思いや心を同じくする、だった。
人はなぜ同情するのか。
人間の一次感情は「悲しみ」らしい。
私たちは悲しみたいのだろか?
いや、悲しみでしか物事を測れないのだ。
(悲しみを別の感情に置き換えているから。)
感情が大きければそれだけ重大、ということか。
だから人間は悲しみに敏感なのかな。
感化されやすいというか。
なぜだ。
悲しみが何を呼ぶというのだ。
悲しみによって、他人とひとつになったような気になれるのか。同一に見えてくる。
同情は共感と違って、相手を「わかる」ことではない。何かを感じた上での心の動きの話だ。
共感は心で起き、同情は本能が起こしている。気がする。
なるほど、だから恋(恋愛物)には悲しみが必要なのだ。
起承転結の転。構図からの脱却。
「メインヒロインルートに至るための選択肢であり、より深い絆を紡ぐクライマックスイベント」って、詩羽先輩が言ってました。
つまり!味気だ〜
転って味気でしょ。
「悲しみ」にはポジティブな面があることがわかった。
悲しみと切なさは似ているようで、全く別のものなのかもしれない。
切なさはきっと、本人以外の誰のものにもならない、誰に理解されるものでもないのだ。
切なさはその人の魅力を上げるものであって、誰かと共有するためのツールとはならないような。(それは悲しみとか寂しさの面であって)
わからん。
このままだと気持ち悪すぎるので言い訳。
2年の時ゼミで愛着を、3年の時宗教学で愛を、4年の時西洋文学で恋愛を取り扱っているので、モヤモヤの種が次々とでてくるのだー