す56

自由帳

差別感情の哲学

 今回のゼミは、中島義道さんの「差別感情の哲学」についてでした。

 配布されたABCDのプリントを読み、めうろこ(なるほどそうだったのか!)すごどう(すごく同意)なついか(どうしてそう言えるのだろう?)はげぱつ(その主張は認めない!)の4つの視点に分けながら、考えを深めるやり方です。

 今回のブログはその感想をよくわからないところをベースにまとめたいと思います。

 

 

A:悪意はひとを鍛え、かつひとを滅ぼす

 Aでは、なついかとすごどうが交互に出てきました。人間の本能として差別がうまれることはわかるけど、その悪意に人生の豊かさがあると人間は捉えるの?という感じです。単純に自分にそんな日が来るのかわからないといった理由でなついかです。特に、この話では悪意による差別を取り上げられているので、人間の葛藤としての話ならまだわかるんですけどどんな思考をイメージしているのかわかりませんでした。われわれは他人に危害を加える存在者というのはすごどうですが、それを中心に社会が回っていると思ったことはありませんでした。人間の行動様式の動機の大部分が攻撃性であるという主張も、保守性からくる攻撃性だと捉えていたので、これだけではなんとも言えないという感じです。なので、友情や恋愛、家族愛を妬み破壊しようという敵がいてこそ、それらは大切な絆というのも外的な攻撃性だけで破壊できるものなのか?という疑問があります。そもそも絆がよくわかりません。例えば、同じ差別感情を持った人が集まってよく悪口を言って盛り上がっていたとして、彼らの間にあるのは絆なんでしょうか。攻撃性が壊しているのは一体なんなんだろうというまとまり方をしました。

 

 

B:快・不快を統制する社会の恐ろしさ

 まず、差別意識は個人の快・不快の延長線上に存在するというところがしっくりこず、ふりかえると「差をつける」と「差別」の違いってなに?となりました。人は差をつけたいという欲求を持って、下位の欲求が満たされれば次第にそんな欲求が出てくると思います。ファッションなんかが例です。差をつけたいという欲求の背景にも、自分を磨きたいという自分に向けての刺激(?)のものと、誰かを引き離したいという他人に向けての刺激(?)のものに別れそうです。何をもって悪意と捉えるかを線引きするというのは、不毛な気がします。そういう意味で、快・不快の発露を統制することは何を指しているのかよくわかりませんでした。

 Bで感じたのは、「正しさ」です。自分の正しさを求めている話に感じました。

 

 

C:帰属意識アイデンティティ

 アイデンティティとは何かという話で、複数のコミュニティーに向けた仮面の中心にある芯としてアイデンティティがあるわけではなく、その仮面そのものがアイデンティティに他ならないという話は、すごどうでした。全くもって同意です。だからこそ、アイデンティティの確立したものの多くは、自分の属している集団を愛しているという前提はいまいちピンときませんでした。アイデンティティの確立ってゴールなの?という感じだし、個人ではなく、集団を愛するってどういうこと?という感じです。ずっと同じ状態の集団であることなどできないからこその疑問です。差別感情を育てる温床は、集団の何を愛している人たちによってうまれるの?という感じです。自分を愛しているんじゃないかと思いました。

 かなり小さいことですが、みな変な顔をするというのも本当に?と思いました。それと、人間は主観的理由を消去することはできないと思いました。価値観は主観的理由で比べるしかないと思ったからです。

 

 

C:家族至上主義

 現代日本では、家族は絶対的に「よきもの」とみなされていると書かれていたが、私はものすごく近い存在とされていると考えました。例えば、何か事件があると、加害者にも被害者にも、その家族は責任のようなものを求められることが多いと感じるからです。言い方が難しいですが、悪意も含めて、社会のさまざまな欲求の出汁にされているようなイメージです。つまり、家族は影響を受けやすい存在でもあり、同時に家族は離れにくい(逃げ方が難しい)存在とも言えるだろうと思います。

 差別の話に戻ると、あなたはすでに(潜在的)加害者なのですとありますが、すごどうで、差別につながる自分の傲慢さを自覚する必要があるとありますが、これがAにあった努力を指すのかという感じで、そうした努力のうちにこそ生きる価値を見つけるべきなのだというのは哲学としてすごどうです。

 

 

D:向上心

 私は、人はよりよい時間の過ごし方を求めていると思っていたので、この考えに少しぶつかったような気がしました。やはり、「よりよい」というものは主観でしかなく、視点を変えることで価値は変わります。差別は、短期的な思考で価値を主観的に測ることからうまれ、瞬時に判断されるのだろうなと思いました。

 意識という言葉が出てきましたが、意識を敵に回すことで意識を変えさせることってできるの?となり、なついかでした。無意識的なことって反射みたいなもの以外にあるのだろうか?とも思いました。

 Dで感じたのは「謙虚さ」で、謙虚であれば人の心を余計に乱さないし、傷つけないのだろうが、それを邪魔するのが攻撃性なのかなと思いました。そしてそうなると、何かを拒むことを攻撃性ととるのもわかる気がしました。

 

 

全体的な自分の考えはまだ見えませんが、少しずつ考えていこうと思います。