す56

自由帳

わかめ

久しぶりの考えを記録するブログです。

今日のゼミで投げられたの問いについてまとめておきたいと思います。

 

 

▷はじまり

ビジネスを成功させるには、まずファンをつくって、そのファンにモノやサービスを購入してもらうようにデザインする方が良い

このような話がゼミ生からありました。

平たく言うと、その方が売れるということだと思います。

単発でバズってもそれがきっかけで売れ続けることは難しいと考えるからと言った話です。

 

 

▷問い

それを受けて『△△が〇〇を作った』だと、△△と〇〇、どっちが軸だと思う?といった問いかけがありました。

5人ほどのグループに分けられ話しました。

これらを経て考察へ移ります。

 

 

▷考察

まず思ったこと

まず最初にこれは「ことば」の話だと思いました。モノやサービスを売るにしても、ファンを作るにしても、伝えるのは「ことば」であると思ったからです。「ことば」というフレーズは昨日の今日のダーリンからつながりました。(意味合いは紐づけてません)

それと、今消費は「モノ」→「コト」→「ヒト」へと動いていると昔新聞で読んだことを思い出しました。

 

考察へ入る

話は、今「誰々が使ってるから見てみよう」ということがよくあるよね、という話へ。

そこで、頭の中の「ことば」というフレーズにつながり、なぜ誰かの発言に依存(?)するのか?という問いがうまれ、それは「ことば」とは解釈が多様で、正解がない。(本来は予測してどう判断するかの話、あるいは判断から学びを得るといった話なのかな)そのため、確かめることができないから、発言した「ヒト」に頼るのではないかと考えました。

例えば、ご飯屋さんを選ぶとき。そこの料理を食べたことがなく、おいしいかどうかわからないので、お店の情報を見る。けれど、それを見ておいしそうな店かどうか感じるかはこちらに委ねられる。それに正解はない。決められないので、選ぶ際「△△がおいしいと言ってた」という自分が欲しい答えが直接的に見える情報を理由に選ぶ。

といったことをイメージしました。

これが良いか悪いかという話ではなく、そういうことって人にはあるよな、といった話です。

そう考えると、△△と〇〇って切り離せないんじゃない?と安直に考えました。

 

ここで出てくる問いが「本当に『ことば』に正解はないの?」です。これは正直わかりません。ただ、私たちはきっとあると思っていて(かなり「意味」に近い意味合いで)、それをとても意識していそうだなと思っています。

 

ただ言えるであろうことは、私たちは何に対しても「より良い」何か(モノ、コト、ヒトなどここは変わる)を求めているということ。これは時代を隔ててです。そして、それによって得られるものとは、「より良い時間」です。より良い時間の使い道。

ここで、はじめの消費はモノからヒトへ移っているという話とつながります。ヒト消費だとモノにエピソードがつくのではと考えました。例えば、好きなアーティスト△△のファンで〇〇を買ったとします。△△のSNS見てはじめての〇〇を見た→購入した→届いた→はじめて使った→+α(使う上で起きたエピソードなど)→別のグッズで繰り返し。これだと、モノ消費の時より時間軸が伸びるんです。幅が広がると言っても良いかもしれません。だんだん愛着と似た話になってきました。

こうなってくると影響するのが「記憶」です。知覚から入ってくる心像(知覚心像)はやがて、記憶心像になります。時間をかけて記憶心像を蓄積するわけです。となると、より良い時間を長く過ごして、より良い記憶心像をなるだけ幅広くもっておきたいというのは当然じゃないか!となりました。

次に「知覚」を見ます。ここでやっとつながるのですが、知覚の元となっているのは情報です。そして考えてみると、人は昔から情報を受け継いでいく作業をしています。つまり、文脈があるわけです。これは基本的に文字列で行なわれています。映像を見ても、感じたことは心の中で「ことば」になります。この文脈を私たちは求めているのかもしれないと思いました。

ここで気になることが。情報がまず「ことば」になって書物になり、それから科学の発展に伴い、さらに具現化?できるようになります。125年前に映画ができて、今ではVRで香りと味が体験できるコンテンツも開発されるようになっています。あれ、知覚の刺激が増えているのなら、心の中の「ことば」も多様になるのでは?と思いました。なっているような気もするし、なっていないような気もします。この「ことば」がとても大切なはずだと思うのですが、「ことば」にすることが減ってきてるのかなぁと思ったり。

 

 

▷まとめ

結論

もう何を考察していたのかわからなくなってきましたが、一応ブログを書きはじめた時に考えていた結論を書いておくと、形にならないと伝わらないので〇〇を作った。が大事だが、それは△△がどんな意味づけをするかが〇〇の長期的な価値につながるといった感じです。△△がどんな人でなんでどんな人とつくって、だからこそうまれた〇〇をユーザーが知覚して、どんな「ことば」になるのか。ここが大事なのかなと考えました。短期的な価値だと、レビューも知らない人でよくて、モヤモヤから「ことば」がうまれてなかったり、誰かの「ことば」を受け入れる形でいいのかなと思いました。なんかありきたりな結論になってしまった感がありますが終わります。

 

感想

読み返してみると、ゼミ中に頭の中でつながったことが、どこからなんでつながったのかを辿っていく作業だったように感じます。妄想でしかないけど、自分の頭の中ではこんな文脈があったんだ、と気づき、見ることができました。正解のないことに答えを出すことも「わかる」って言えるじゃないかなと思いました。「わかる」と「見える」って違うんだろうけど、何が違うんだろうと思いました。そして私に足りないのはリサーチです。

 

まとめのまとめ

話し始めるとどんどん出てくるのに、ふと振り返ると何を思っていたのかわからなくなり、話し終わると記憶が飛んで、思い出すと何でこんな話をしてるんだろう…?となる今日この頃です。妄想怖い…