今回のブログは、旅回ワークショップを受けて学んだことを記録していきたいと思います。
企画もしましたが、今回はその場に集まったみんなの話からの学びを書いていきます。
1日目
1日目は、嶋田さんの講演と問いを投げてのグループワーク、共有とフィードバックを行いました。主なテーマは、旅人とその思考を知るです。
まず、嶋田さんの旅歴のお話しがありました。スライドに年齢とそのとき行った旅先のグラフがのっていたんですけど、年齢の軸の端が35歳でした。嶋田さんって今35歳くらいでもうすでに社会貢献というか若者のチャレンジを後押しするように動いてらっしゃっていてすごいなと思いました。旅人(嶋田さん)ってやっぱり違うんだというか、器の大きさみたいなものを感じました。旅って、行動によって自分を磨いていくっていうイメージなんですけど、嶋田さんはそこに終わらず、それを他者につないでいくっていう行動をされているところに大きさを感じました。
嶋田さんのはじめの旅のきっかけは、自分にとって〇〇(嶋田さんにとっては英語)がない人生は無いなと思ったからだそうです。人生を考えるいい問いだなと思いました。嶋田さんのメッセージとして、それが思い浮かんだらすぐに行動するといいよっていうメッセージを感じました。
そして、長期の旅にいこうと思ったきっかけは、豊かさとは何か?という問いがあったからだそうです。海外に旅をして、自分の価値軸とは違う軸で生きている人がいて、「豊かさ」の軸に揺さぶりがかかったそうです。ここで思ったのは、旅に行くこととそこで暮らすの違いってなんだろう?です。例えば、旅に行ってそこにどれくらいとどまるかは自分で決められるわけで、ここに旅に行きたい!っていうのと、ここに住みたい!っていうのは違うなと思いました。嶋田さんは旅の次の目的地は何をもって決まっていたんでしょうか・・・。聞いてみようと思います。
すごくキャッチーで面白かったのは、嶋田さんが足を骨折された際、ずっと家の近くの同じところでリハビリするのはつまらないから、ヨーロッパに歩きに行ったというお話しです。それでヨーロッパを回ってこられたそうです。物は考えようとはよく言ったものですが、本当そうだなと思いました。まさに旅人の思考だなといった感じです。
いちばん印象的だったのは、違う国には、違う土地や日常があるという言葉です。それを踏まえて、日常ってなんだろうなと考えたときに思ったのは、流れとか文脈でした。自分の知らないそれを、自分で足を運んで調達することで、それは私のセンスに繋がって、私のアイデンティティになっていくという考え方は、企画の時にあがっていた教養とはなんなのか?の答えと近いなと思いました。
旅人からのメッセージ
嶋田さんが旅と聞いて繋がった言葉
- 人生
- 非日常
- 学び
- 出会い
- 対話
- 探究
- 好奇心
- お金
- 移動
- 芸術
- 食
- 未知
だそうです。盛り沢山ですね。
旅が教えること
- 自分ができること、できないことを体感する
- 日常とは異なる環境を知り、今いる環境に感謝する
- 移民や人口減少の現場をみて、自分の頭で考えられる
- 経済規模の大きさと幸福度は比例しない
- 世界中の人々は優しい(ごく一部除く)
この話の時に嶋田さんがおっしゃったのは、「わたしたちは普段、できることの中に生きている」でした。これがひっかかってたんですけど、2日目につながった話があったので、書いておきます。
以前、育児と仕事を両立させるお母さんの話を聞くみたいなイベントに行った時、あるお母さんが毎朝筋トレをやると言っていたのを思い出しました。それは、筋トレをすることでその日の体調がいいか悪いかがわかるからということで、いろんな自己管理があるんだなと思いました。それも自分を知るっていうことだと思っていたのですが、これって毎日やることで決まった判断軸ができてきて、それによって判断している感じです。本来できることをやって、条件分岐するといったように。これってロボットみたいだと思いました。だけど、AIは学習してるから、そうだAIって人工知能って言うんだったとなり、人間がより何かをできるようになるには、(AIみたいに)理想の状態よりできないことをできないなりにやって、サイクルを回していくしかないのかなと思いました。つまり、旅の中に学びがあるというよりか、嶋田さんのおっしゃっている旅、そのものが学習みたいだなと思いました。旅の考え方を活用することで、よりおもしろい学習をすることができそうです。
旅が育てるもの
- 受け身ではない、自分主導で行動する力
- 未知の状況を不要に恐れず、自分で切り拓く気持ち
- 段取力とハプニング対応力
- 自己責任と管理する力(お金・時間・意思)
- 画一的ではない価値観と人や生き方に対する寛容さ
どれも魅力的な能力です。これらを旅によって身に付けた人って、温かそうなイメージがあります。これが所謂、人間力というやつなんでしょうか。
旅をする上で、その足し算はどんなことを呼ぶのか?
「今の自分が知らない新たな出会い」
(その時思ったことを行動することで、以前とは違う自分との出会いがあり、今まで違う思考になる。)
これはなぜか確かに、と思いました。今だってそうだなと思います。ということは、私は知らぬ間に旅をしていたんだと思います。身近なところにも学びの機会はあって、やっぱり大事なのは、その場に足を運ぶことだなと思いました。
グループワーク
グループワークでのメモはこんな感じでした。
こちらのミスでアクセス権限をいじり忘れたので、私が共有を聞きながら追いつく限りメモしたものです。同じ問いでも話の繋がり方はチームそれぞれでした。タイピングに一生懸命であまり話を聞けなかったのが残念でした。
2日目
こちらは対話形式だったので、切り口ごとにまとめていきたいと思います。
画像を見ながら振り返っていきます。
付箋は、ピンクが浮かんだ問い、黄色がそれ以外、青が嶋田さんの言葉になります。おおよそ、文脈に沿ってつなげています。
その場に足を運ぶ意味とは?
特に気づきがあったのは、左上にある「五感」の話です。
まず背景として、その場に足を運ぶ意味とは?という問いが浮かんだのは、以下のイベントに参加したときです。
このブログ内にその問いを書いていて、ずっと引っかかっていました。
それで別のイベントに参加した際、テーマが似ていたので、そこでその問いを共有してみました。
こっちのブログにも書いてますが、そこで出てきたのが、まさに「五感」だったのです。それで、なんかわかるような気はするんですけど、自分で文脈をつくって説明するまではわからず、モヤモヤしていました。
なので、嶋田さんの五感に関する考えと、それに対する五感と付箋に書いてくれたなえちゃんの言葉の中でまたひっかかったものができました。それは、まず嶋田さんが実際に経験した人としてない人では話し方からして全然違う。自信がない感じがすると仰って、それに対してなえちゃんが、自分も就活の面談の練習をしたとき、吹奏楽部の話をしたときだけ自信があるのが伝わってきましたと言われたのを思い出した。実際にやってみたということが自信に繋がるのはわかると話してくれました。
なるほど!なんかわかる気がする・・・と思い、じゃあ、五感で感じたことを経験と呼ぶのかな、五感で感じるって何?となりました。
おもしろいのに、言語化できずモヤモヤしていましたのですが、ブログを書いているとハッとして、それ私知ってる!と思い出しました。
それは、ゼミ面談の最終日に飛田先生に会いに行ったことです。本当なんでつながらなかったんだろう・・・と思うくらい、自分が揺さぶられて思考や行動が変わった体験でした。
まさに、1日目に聞いた通りで、今までとは違う自分になる原体験です。これを当てはめて考えてみると、「実際に足を運んで得た体験でないと、原体験になりにくいのではないか」という仮説が立ちます。足を運ばなかった体験を足を運んでみた体験と比べると、原体験まではいかず(そこまで響かないという意味)、経験で終わってしまうことが多いんじゃないかなと思いました。経験ってなんでも「よい経験だった」って言えるよなと思って、なんかひっかかってたんです。
なぜ、私が「五感」にひっかかって、わかる気はするんだけど納得までいかなかったのかわからなかったのですが、五感を通して感じるのは「私」であるというところに気づくと、あぁー、なるほど!やっと繋がってきた、となりました。五感で感じるものが薄いと、「私」まではなかなか届かないよなと思いました。
それにしても、なぜ今までつながらなかったのか・・・。ちゃんともっていたはずなのに、見えなくなってしまっていたのでしょうか。過去の体験を振り返れた、とてもいいきっかけでした。ひとつの体験の時間軸がまた伸びました。これがいいのか悪いのかわかりませんが、個人的には、今引き出しから出てきたことで、体験の満足度が上がった気がします。
うまれたモヤモヤ
五感で感じる上でのポイントって、埋没感みたいなもの?その間は「私」という雑念が消える感じ。
映画って、足を運んでるとは違うような。映画によるかもだけど、埋没感はあると思う。映画を通して、何を見てるんだろう。何を見てる(見たい)か無意識に判断してて、だから集中できるんだろうか。(雑念が消える)
ずっと見てられる景色とすぐ飽きちゃう景色の違いもそういうことかな。日常的すぎると風景を景色とは感じないから、埋没感とはちょっとニュアンス違うのかも。「日常とは違う」っていうのが、今のところいちばんしっくりくる。
人は偏見から抜け出せないのかもしれないけど、実際に動いてみて五感で感じることでそれに揺さぶりがかかることがあると思う。
聞いてみたかった付箋:「写真だけでは伝わらないものがある」「独特の圧」
教養としての旅とは?旅学とは?
1日目の旅が教えるもののところに書いてある話は、この切り口のときに出てきました。
1枚目の左下に「自分で作り出すイメージ。自分で自身を開拓していく」の付箋のように、ひとつひとつのアクションを自分で判断していくのが旅であると、旅回を通して嶋田さんから学んできました。旅をして違いを見ることで、それが自然と教養になるそうです。
そして、これを2枚目の行動と軸の話につなげてみます。ここで2つのルートがあって、軸が行動を促すか、行動が軸をつくるかです。軸を「考え」として捉えてみると、これって、前ゼミで習ったW型問題解決モデルに似てるなと思いました。
今度は軸を「私」として捉えてみると、仮面を通した「私」が行動をして、そこで学んだことが「私」に足し算されていって「私」の幅が変化していくというイメージが浮かびました。どういうことかというと、私の場合、例えば、大学の友達と話す時の自分と昔からの友達といるときの自分は違うし、場を例にしてみても、ゼミとインターンとでは違うと認識しています。何が違うかと言うと、そのままですがペルソナというか、何をどこまでどんな風に伝えようとするかとか、やってみようとするかとか、「私」の中で自然と違うルートをたどっていると思います。なぜそう思ったのかと言うと、浮かんでくる言葉が違うからです。だから、きっと旅をすると、旅先の自分と日常を過ごしている自分は違ってくるだろうと思いました。私はここに旅の魅力を感じました。なぜかというと、ずっと同じことをしていると、飽きてきて、めんどくさくなって、態度が悪くなってきそうだなと思ったからです。そして、そこでの自分の価値が下がっていく感じです。以前、嶋田さんが、旅によって自分の本質が出てきて、磨かれていくと仰っていましたが、きっと旅人の思考を使うと、その悪循環は無くなっていくんじゃないかなと思いました。
2枚目の右側に、旅を通して自分が何をしたのか、何を得たのか、そこから何を学び、努力するのか、言葉にして説明できるようになっておくことが大切という付箋があります。これってブログを書く意味と一緒です。その場に足を運ぶ意味とは?でもでてきたように、やっぱり旅って学びだなと思いました。言語化して伝えたり、何かをつくって表現するということは、人にとって永遠の営みであり、課題なのかもしれません。旅とは学びのプロセスであり、言語化や形式化することで、その学びは目に見えるものになり、自分の思いが相手に伝わることを実を結ぶと呼ぶのかもしれないなと思いました。
うまれたモヤモヤ
アンラーニングっていつするんだろう。
コロナ禍での旅について
すごい面白い切り口だなと思ったのは、「握手とかしにくくなって仲良くなりにくくなった?」という付箋です。旅において、人と触れ合うことは学びの要素であったり、楽しみのひとつだと思うので、距離感や空気感が変わったことは影響がありそうだなと思いました。
旅を通して、一人の時間とどう向き合うか
これは、一人旅にひっかかっている人が数人いたのですが、付箋が少なかったので意外だったと話すと、難しい問いだったと伝えてくれました。確かにわかりにくい・・・。問いかけ方を間違ってしまい、ひっかかりのある人には申し訳ないことをしました。
ここで、前の空気感や距離感が変わったという話につながったんですけど、旅って一人の時間が多いイメージがあったんです。事前アンケートに書いてくれた話で、一人旅に行ってくると伝えると、「自分探しの旅ね!」と返ってきて、それにひっかかったという話がありました。どこか旅って自分と向き合うとか一人とかそういうイメージがありますが、旅人って現地にいる人と共存してて、一人ではないんじゃないかと思いました。例えば一人で移動していたとしても、周りとか見て楽しんでそうじゃないですか。話しかけたり、一緒にご飯食べたりして、その場にある何かを共有してそうです。「私」を感じるのはその後であって、まずは共存とか共有から始まるなと思い、メウロコでした。
旅の終わりとは?
この問いもわかりにくかったなと反省してます。嶋田さんからどういう意図でつくったのと質問が来たので、嶋田さんが旅をどう捉えているのか引き出せるかと思ってつくったと伝えたら、「今までなかった体験が旅」(右側の見切れている付箋)だと話してくださいました。
全体的に旅に終わりはないのではないか?という考えが多く、「終わりではなく区切りと捉える」など、旅に対して、長期的なビジョンをもって考えていたように感じました。おもしろいなと思ったのは、下の方にある「何も求めなくなった時」です。旅は好奇心から始まるものだと学んだので、正論だなと感じました。諦めてしまう瞬間に旅って終わってしまうイメージがあったので、言語化してもらったなと思いました。
さいごに
このブログを書いていて、すごいつながってくる!と思いました。今までの経験であったり、ワーク内での話であったり、ブログを書いていくうちにつながりに気づいてきて、なんでそう思ったんだろうと聞きたくなりました。今回は、旅がテーマであり、講師をしてくださった嶋田さんも学校の先生ではなく、理論の話も少し出ましたが、主にご自身の経験をもとにお話をしてくださいました。個人的にはそれが新鮮で、全体を通して、先生と同じように見ようとするのでなく、自分と違うところを見ていくようなワークショップだったかなと思います。これは旅そのもののテーマと同じなので、いい体験だったなと思います。なぜか今、ちょっと旅をした気持ちになってます。点と線の話がたびたびありましたが、嶋田さんが点を適当に打つんじゃだめだとおっしゃっていて、それがなんでかわからなかったんですけど、今は、線で結ぼうとしなくては意味がないという意味だったのかなと思いました。これは持論ですが、わかるってそういうことだと思うし、おもしろさもまたそこにある気がします。
嶋田さんをはじめ、集まってくれた人たちが考えを共有してくれたおかげで、ワークショップでいろんな話が聞けたし、このブログも楽しく書けて、気づきがたくさん出てきました。ニュータイプな人であれ、と言われる理由を実感できた気がします。
次回は、企画としてのふりかえりをしていきたいと思います。