今回のブログでは、今週のゼミで思ったことと、その後の個人的なモヤモヤを記録しておこうと思います。
▷上位下位分析をやってみた
この分析の元となったインタビューの大テーマは「愛着をもつもの」。小テーマは「長く使っているもの」といった感じでした。
愛着とは何か?
ゼミ終了後、「愛着をもつこと」=「長く使うこと」ではないから、もう一度「愛着があるものは何ですか?」とインタビューをやり直そうという話が出てきました。
その後、「愛着がある」という事象の中に長く使うというキーワード(切り口?)がある。だけど、全てがそう(イコール)ではないことはわかったから、じゃあなぜそうではないのかを考えよう。例えば、「長く使っている」という事象にどんな事象が加わっていれば、「愛着をもっている」と感じるのか考えてみよう。という話になりました。
今のところですが(その事象を起こした)ユーザーについて考えるというのは、そういことだと認識しています。(めちゃめちゃなんとなくで、全然わかってない)
ふりかえってうまれたモヤモヤ
ふりかえると「愛着をもつ」という事象を分解して、当てはまるような条件を考える作業のようにも見えてきました。条件を考えることと足し引きを考えることは同じようで違うような…いや、一緒か。と思ったり。事象と事象を足して考えることは危険だけど、欲求と欲求ならいいのかな…と思ったり。言語化してみると、なんだが法則性を求めているようで、ナンセンスな気がします。
前提として、どこまで納得(できれば共感)できるまでもっていけるのかという話だと思っているんです。
もう少しサイクルを回せば見えてくるのかなあと思っています。
▷考えてみた
今までの活動やモヤモヤを踏まえて、今の私の考えを記録しておこうと思います。
「愛着」→「大学愛」
ミズノさんの話を思い返すと…
商品のもつ意味(思い・ストーリー)が大事。
短期間で愛を育ませるモノをつくるのは難しいのではないか?という質問に対して、
卒業してからも触れる機会があり、何十年後「福大いいなあ」と思うのもあり。
それが、モノをつくる理由だ。
私の解釈ではこんな感じです。
これに、森田先生からの話を組み合わせると、
私たちが、ユーザーに大学愛を持たせることはできない。だけど、商品を通してだとできるかもしれない。その商品によって、いい体験がうまれるのであれば、その商品を身につけてくれるだろう。そして、新しい思い出が加わることでモノに愛着をもち、使い続けてくれるかも。そしたら、あわよくば大学愛もうまれるのでは?
と、私はなりました。
なので、これがミズノさんからもらった課題?だと認識しているのですが、大きなひっかかりがあります。
今の考えですが、私にはあわよくばにしか考えられないのです…。つながりが見えない…。
ミズノさんとの話の中で、商品が福大愛をもたせる理由の例として、「例えば九州の素材をつかっている」とおっしゃりました。その時、私は「そういうことか!」と思ったのですが、今私は「そういうことなのか?」になっています。私たちが考えているのは、いい体験をつくるためのプロダクトのはずなので、ますますつながりが見えません…。
モヤモヤしすぎて、論文を読んでみた
論文を読んでみると、
日常生活にあふれる多種多様なモノの一部は、所有者の認知的枠組みのなかでは、単なる物体ではなく、手放しがたい特別なモノとして存在すること、そしてそれらは所有者自身や身近な他者へと擬人化してとらえられることが実証された。
モノとその所有者のみならず、他者の存在がモノへの愛着を強化するのに重要であると考えることができる。すなわち、所有者が他者 とその所有物に関する交流をするなかで正のフィードバックを受ければ、そのモノへの肯定的感情を強めるのである。
こんなことが書いてあり、そうだよなあと思いつつ、これらを成立させるにはどうすればいいのだろう?と考えようとして、でも、それはユーザーを考えるといえるのだろうか…となり、まあ、見えるところからやっていこう。それしかわかんない。となりました。
今の考え(戯言ぐらい)と目の前のモヤモヤ
なんの根拠もない考え?を記録しておきます。しっくりもきてないし、フワフワです。
「愛着」≒「長く時間を共有している」+「ユーザーが使っているという事実」
※ 過去形でもいいんじゃないかと思います。極論、モノそのものが今はなくともいいのかも…
(追記)あるモノを使い続ける限り、何か(つながりのようなもの?)が更新され続けるのではないか?
今のところの共通点はこれかなあと。
思い出の品との違いもここにあると思います。
ポイントは認識ではなく、事実というところ。
モノの取捨選択をしてきた際に選んできた(×残してきた)という事実。
例)捨てないで使い続けているタオルには愛着はない。
それと、ある程度の満足度?はいるなあ。自分にとってのしっくり感というか。似合ってるとか、形がちょうどいいとか。あるいは、なんかいいとか。
(追記)心地良さだ!そのモノのおかげで自分自身に感じる特別な居心地の良さ。
つまり、「そのモノをもつ(あるいは使う)ときの自分が好き」という状態になるかどうか!
これはしっくりきた!結局は、好きかどうかというかところが人間らしさを感じて好きだ。肯定的な感情を抱かせてくれるか否か。それも勝手に。とてもおもしろい!!ワクワクしたあ!!
当たり前にもっているものにはこれがあるのでは?
たまーに、マイナスなところとか浮かばない。
当たり前にもっているものはマイナスなところも、それはそういうもんと思ってるのかなあとか。
ただ、当たり前にもっているものは愛着をもっていると認識しないだろうな…
「もっている」と「使っている」では違うのかなあ。
写真を財布に入れている人ってなんで入れてるだろう?肌身離さず?もっていることで、家のアルバムに貼ってある写真とはなんか違うと思うんだよなあ。
とか思っているのですが、だんだんこれが「複雑な事象に特定の原因をさぐること=不毛」に該当するように見えてきました。つまり、特定の何かを見つけることはできないのだから、わからないけれど、最終的にはいろんな事象の背景の中から、私たちが何かを基準として(あるいは何かに共感して)ビジョンのようなことを選ぶのかなあと思いました。
ミズノプロジェクトではなかったら・・・
もしも、ミズノプロジェクト(ミズノ×福大の商品をつくろうプロジェクト)じゃなかったら、自分が使っていたランドセルを素材にして、好きなものつくろうというワークショップ?とかどうだろうと思いました。
ランドセルを解体する時に、ショックは受けるかもしれないけれど、それが財布とか日常で使えるものにカタチを変えて、また使えたらいいなあと思いました。
▷最後に
私が読んだ論文では、大学生を対象に調査をしていて、愛着をもつ理由の選択率が高かったのは「思い出がある」「長い間所有している」でした。モノへの愛着には、記憶に関する側面が重要であるようです。
私たちの切り口は、ずれてはいないと思ったので、少しうれしい…
ですが、それと同時にミズノさんからもらった課題は何か。それに対して私たちができることは何か。というかあるのか。考えられたかは些か疑問ですが、問い直す機会となりました。
私にとって「問い直す」は間違いなく今後のキーワードです。何度でも問い直そう。
モノへの愛着の分析
対人関係とのアナロジによる測定
木野和代、岩城達也、石原茂和、出木原裕順
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjske2001/6/2/6_2_33/_pdf/-char/ja
私とは何か
「個人」から「分人」へ