先日、こちらのイベントに参加してきました。
▷なぜ参加した?
今までゼミでやってきたことと重なる内容だったので、少し情報がある状態で話を聞くと、理解が深まると思い参加しました。
また、以前ゼミでデザインについて触れた際にデザインを仕事にしている方のお話を聞きたいと思ったのでとてもいい機会だなと思いました。
▷何があった?
今回は内容に関するレポートは禁止とのことなので、自分の気づきや問いのみを記録します。
▷何を持ち帰る?
デザインとは何か?
まず、デザインとは仕事ではないのかなと感じました。以前ゼミであったUXとかは教養的なものになるという話を思い出し、改めてデザインって何だろう?教養って何だろう?と思いました。
なぜ私たちは学ぶのか?
最後の方に「学ぶこととは変わること」という言葉が出てきました。ここで福岡テンジン大学の学長さんの質問箱の中での「変えたいと思うのならきっと何かを足せばいいんだと思う」という言葉を思い出しました。以前ブログにも書いた、大人の学びとは何かという話ともつなげると、なぜ私たちは学ぶのか?からはじまる一連の問いに対して、言語化されたつながりが見えた気がしました。
ここで思ったのは、言語化って何?他の人の言葉や考えをつなげたものでもいいの?です。
それと、私たちは学ばなければならないのなら、学生とは何者なんだろうと思いました。そしてこれはやさしい卒論発表会で聞いた、仮説が立てばいい問いにあたるのではないかと思いました。仮説が立てばいい問いとは何だろうと思っていたのですが、今回の話の中で出てきた「定義」という言葉とつながり、自分が何と定義するかが大事なのではないかと思いました。
2つのサイクル
話の中でいくつかサイクルの図や話がありました。サイクルには2つのパターンがあると思い、仮説を立てました。
- 単なる循環のサイクル
- らせん状のサイクル
1は自分の概念化されたサイクルを疑わず、その中での経験だけで判断します。これはもうモノじゃないかと思いました。2は問題の背景を大切にし、学び続けることでサイクルを回します。これはコトだと思います。
そして1が真面目で、2が真剣なのではないかと思いました。
だけど、今回私は身近な問いを勝手につなげてるけど大丈夫かな?と思いました。何だか都合がよくて楽をしている気がするけど、一応思ったので記録しておきます。
▷それで私はどうする?
学び続けたいです。このブログを書きながら私は学生としての学びを何と定義しようかと考えていました。ここはシンプルに研究にしようかなと思います。目的は豊かな日々を過ごすためとします。なのでまず行動を起こし、気づきやひっかかりを増やすことだなと思います。
▷最後に
ふりかえりとして、今度から席は奥から詰めて座ろうと思います。緊張すると視野が狭くなるのは悪い癖です。どこにいってもすぐ近くのところに座ろうとします。次からは心に余裕を持って参加し、イベントに参加する側としてできることをやろうと思います。