す56

自由帳

差別感情の哲学2

 今回のブログで考える問いはこれです。

f:id:Shinkansen:20200611124548p:plain

  これは哲学の先生から提示された問いで、同時にこんなことも教えてもらいました。

f:id:Shinkansen:20200611124647p:plain


 私は問いがうまれてそれを考えていると別の問いがうまれてきて、そもそもの問いの答えが出せてなかったので、答えを出すことを意識しないとなと思いました。

 

1. なぜわれわれは「差別している」と言われたくないのか

  差別と一言でいってもどんな差別なのかわからないので、まず、悪意によって行われる差別と、人間の本能的にあるような悪意から行われるものではなく、知らないものを見たときに感じる恐怖に基づく排除や差をつけたいという欲求から来たランクづけ、それと、悪意というよりは戦略的というかなにか別の目論見があって行われる差別とは分けて考えてみます。

 そこで思ったのが、差別という行為自体には善悪はないのではないかということです。悪意を持った差別というのは、自分の中の攻撃性を差別の対象となっている人に向けることで、発散しているのではないかと思います。先生もおっしゃっていたように、差別の対象となっている人(つまり、社会的に弱い立場を持っている人)は自分以外の他の誰かからも虐げられているだろうと思って、攻撃の標的にするハードルが下がるのだろうと思いました。それは、加害者側が他にも差別感情を持つ集団を背後に察知しているからです。つまり、自分一人の感情では差別はしないのではないかと考えました。なぜなら、相手がマイノリティだからという理由以上に自分の攻撃性をぶつけていることがわかっていて、わかっているから集団じゃないとできないのではないのでしょうか。差別をすることは上下関係を作ることです。差別というものを利用して、排除したりランク付したりして、自分の攻撃性を発散し(相手を傷つけて)、自分を満たすことが長期的・客観的には恥ずかしいことだとわかっているけど短期的刺激につられてやってしまう人が、差別をしても差別をしていると言われたくないのかなと思いました。

 うまく言えないのですが、「差別」「差別感情」という言葉自体には善も悪もなく、それはそういう現状の名前です。だけど、われわれは先程述べた悪意ある差別というものを知っていて、そういう差別をしているという状況もまたわかっているから「差別」という言葉のニュアンスが変わり、自分は良くありたいので差別は良くないことだとわかりやすく言っているのではないかと考えました。差別はだめだ!と言っている人だって、自分を差別をする人間とは違う!と差別をしている人と差をつけるために言っているのです。これだって状況的には差別です。

 ここまで、加害者側のことを考えてきました。その中で被差別者への話がまるででてきません。怖いと思いました。

 

 

2. 差別をしたくない場合、どうすればいいか?あるいはそもそも差別はしてしまっても仕方ないものなのか?だとしたらなぜ世の中では「差別はいけない」と言われているのか

 分解して考えたいと思います。

 

差別をしたくない場合、どうすればいいか?

 悪意のない差別とは、無意識にしてしまうものだと思います。 なので、差別をしないということは難しいかもしれません。悪意ある差別をしたくないと本気で思っていれば、わざわざ傷つけるようなことはしないだろうなとも思いました。でもそうなると、攻撃性をコントロールする必要が出てきます。プリントのAにもあった通り、それをいかに対処するかがその人の価値を決めるのだと思いました。

 私は言葉に丁寧になろうと思いました。人を傷つけるものに必ずしも悪意があるとは限らないとアイスバーグが言っていました。言葉は心に残りやすい上、思い返すごとに感情がうまれるからです。そういう意味では、言葉は受け取る側のものと言えるだろうと思います。だけど、言葉は溢れてくる時があるから、傷つけてしまっていると思います。そのことをわかって、やさしさの基礎をつくるという答えになりました。

 

そもそも差別はしてしまっても仕方のないものなのか?

 無意識だったから仕方がないというのは違う気がします。そう片付けてしまうと、悪意ある差別が増えると思うからです。

 

なぜ「差別はいけない」と言われているのか?

 それが正しいと思っているからだと思います。正しいと思う理由はなんだろうなと思いました。例えば、そういうふうに教育をされたとか社会的常識だとか言われたとして、そこまですんなり差別という難しいもののイメージづけがされているのが不思議だと思いました。何も知らない状況でそう言われたらすんなり入るんでしょうか。きっとわかりやすく差別というものを説明したんだと思います。誰が見ても悪いと思うような情報を渡して、ワンパターンなイメージついたことによって、差別について考えることなく、実際に差別の状況に出会ったときに気づかなかったり、深く考えず便乗したりするのかなと思いました。

 

▷余談

 映画「風と共に去りぬ」が人種差別や偏見を理由に米動画配信サービスでの配信が停止されました。この映画はちょうど1年前くらいに見たことがあって、何回か見たので結構覚えているし、純粋に面白かったです。だけど、情報をそのまま(正確にはそのままではないけれど)受け取っていて、こんな時代だったんだと思ったし、黒人の方がこの映画を見てどう思うかとかは考えなかったです。差別問題はどこまでも広がるんだなと思いました。