す56

自由帳

卒論をふりかえる

卒論が終わったので、卒論ふりかえりブログです。

今回、反省点となったのは、「エッセイ風になる」「仕事(今回は卒論)のこなし方」。そして、先生がよくおっしゃる「大人はすぐ褒めるから気をつけて」。

課題はこれなのですが、では、何を気をつければ良いのかがうまく掴めません。

なので、課題を混ぜながら考え、なんでそうなったのか、なぜ気をつけなくてはいけないのかを整理することで、課題を掴み、どう気をつければ良いのか、がわかるようにしたいと思います。

 

私って、人やそれによって生まれる自分の理屈ばっかり覚えているのではないかと思えてきた。学校で理論を学んでも、理屈にして、知識の収納庫に入れているのではないかと。

(「考えるの好きなんだね」と言われると、YESと思うのに、「勉強が好きなんだね」と言われると、んー🤔となっていた。)

【A】自分の考えをまとめる、エッセイ的な伝え方(=レポート)

【B】先人の知恵と事実に基づいて答える、研究的な報告(=論文)

自ら立てた問いに対する取り組み方として、AとBの2パターンある。だが、Bを知らなかった。そのため、そこを分別できず、全てAで取り組もうとした。

だから、卒論も自分の考えを述べる場だと思い、エッセイ風になっていた。

論文は、他人の言葉を使いながら書いていって、それでも表現できない何かがあって初めて自分の言葉を紡ぐ。

Aばかりだと、大人はすぐ褒めるから、法則化されていないフワッとしたものをフワッと褒められる。すると、自分の考えに信仰しすぎるかも。だから気をつけて。

それに、AをBで当てはめる(置き換える)ことによって、「あぁそうなんだ、そう言われてるんだ。」と、新しい感動が生まれる。

だから、Bもできるようになろう!

 

となると、私は「伝わらない」のではなく、「伝える気など1ミリもない」のかもしれない。

話したい人だけに話してたのかなあ。聞いて聞いて!みたいな。もはやそれだけ。それが私の承認欲求の形だったのかも。

だから、書いては消して、話しては訂正して、を繰り返しがち。伝えたいことがまとまっていないのに、気づいたことを話してしまう。
聞いて!が先行して、相手と話自体に対する見やすさ、返しやすさへの気遣いが、会話の中盤とか終盤に急にきて、あっ、てなる。

伝えたいという意味では、話の中身というより、別のものを伝えたかった(自分の存在を確かめたかった)のかしら。もはや、理論ではなく、理屈として受け取ってほしいみたいな。そういう気持ちではないけど、無意識下で、そう考えてたのかもしれない。

だから、理論をつくることへの意欲が湧かなかった。理屈が見えたら嬉しくなって、もう聞いて聞いてゾーンに行く。それが話の種で、見てほしいものだったから。アウトプットすると、あぁ楽しかった、満足。みたいな。

ふりかえると、会話もAになってた。先生はB、もしくは、Bと自分の考え(A?)という感じだった。就活のときはBもやってたと思う。インターン先の上司に見せ方、伝え方として教わったから。でもなぜか、どちらも終わった途端にすっかり忘れていた。

AルートとBルートでは話の結末が違ってくるもんなあ…。Bで話すことで、会話の到着点が互いに見えるようになる。自分のことしか考えてなかったなあ。

AもBも手段というか基礎的な道具で、どちらが求められているかを判断し、求められた方を使ってコミュニケーションを図ろう!

 

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青線を意識しよう

まずは、100%はどんな状態かと目標を定める。そこから分解していって青線でこなす。全体像をイメージして、目標と期日を定めることで、課題はタスク化できるようになる。

今だと、引越し準備。引越し準備という課題をそのまま持っていたら点線になってしまうので、目標と期日を定めることから始める!

 

卒論をふりかえったら、社会人になるのが不安になってきました😧

ですが、気づけたのでよかったです。自立への基礎となる気がする。頑張ってほしい、私!