す56

自由帳

効率の鬼に学ぶ

インターン先に、効率の鬼と言われている人がいます。

そこでは、ユーザーのインサイトを考えることが特に大事とされているのですが、その人はあまり、インサイトにこだわってはいないんだよねと話してくださいました。それを聞いて、その人が効率の鬼と言われている理由がわかったようなわからないような気がしたので、なんでそんなに効率を回すんですか?と聞いてみました。すると、買ってきた答えは「丁寧にしたいんだよね。例えば、片付いていないところがあると、片付けたくなる感じ。だから、今、考え中ですっていう状態にしたくない。だってそれって、全部の馬券を買ってるってことだから。」というものでした。え!あぁ〜、なるほど、となりました。

まず、え!ってなったのは、丁寧にしたいというところです。それって真逆じゃない?と思いました。だけど、話を聞いているうちに、サイクルを回せば回すほど、それは自然に丁寧になっていくという考えに気づいた時には、めっちゃメウロコでした。インサイトにこだわってないというのも、今ならわかる気がします。インサイトにたどり着く道が、勝手にひとつしかないと思っていた自分に気づかされました。知識の鎧ってこういうことかなと思いました。知識というか経験の鎧でしょうか。

次に、あぁ〜、なるほどと思ったのは、考え中って状態にしたくないってところです。これもはじめは、え!ってなってんですけど、それって全部に賭けてることだからって聞いたときにあぁ〜、なんかわかるかも、わかった気がすると思いました。何がわかったかというと、以前からあったモヤモヤと繋がってそれについて、それにひとつの答えが出せました。答えのない問いってなんなんだろうって思ってたんですけど、それって答えが変わるってことだと思うんです。以前だって、正解は求めなくていいっていうのもわかってたし、だけど、答えは出さなきゃいけないっていうのもわかってました。(教養祭の哲学の授業を受けてですね。)わかってたんですけど、それは頭の中の理解って感じで、理屈がわかったって感じだったんだと思います。だからそれ以上なんで?と思わなかったんです。だけど、今回の対話で、わかりやすく、そうだよな、そうしよって思えたんです。講演会の企画の体験と繋がってきて、やっぱり、手を動かしてるから進むんですよね、当たり前ですけど。(私は今まで、自分で手を動かしながら考えてやりたいことに向けて進めていくっていう体験をしっかりしたことがありませんでした。)動かさないで、こうだと思う、みたいなままだと、時間が過ぎていくだけ、延いては、相手の時間を奪っていくだけっていうのはなんかわかるかもなぁと思ったり。だから、哲学の先生が仰っていたように、やっぱり答えは出さないといけないと思います。答えを出さないといけない時って必ずあるし、というか、日頃の積み重ねから、無意識的に答えって出ている(言葉とか態度に勝手に出てくる、相手が何かを汲み取っていて、気づかないうちに出してることになってる)ものだと思うんです。だから、いくら考え中といっても答えって自分の中には出てて(この時点で答えが出てないということは、それはあくまで感想みたいなもので、考えられてはないってことかなと思います。)、それを共有するかしないかっていう話だと思うんです。そこで、大事になるのって、答えが変わることを楽しめるかどうかだなと思いました。楽しめないと、答えが出しづらくなるからです。答えが変わるってことはサイクルが回ってるってことだと思うんです。(もちろん、それを「正解」にしたいのなら、そこからもっとサイクルを回さなくてはいけないと思いますが。)それを勝手に、効率の鬼(と言われている方)の言葉とつなげると、それって丁寧にやれてるってことじゃない?と思いました。ポジティブ過ぎますかね・・・。

まあ、まとめると、効率の鬼曰く、丁寧に仕事をしたいのなら、たくさんサイクルを回す方が早いよ、ってことです。