答えを求めようとする呪縛から逃れられれば,もっともっと成長すると思うんだよな。ここが勝負どころ。しっかり頑張りなはれ。
— とびモン(の中の人) (@to_2106) 2019年10月3日
記憶に残っていたツイート。
ずっと、わかりそうでわからなかったです。
ひとつの仮説が浮かんだ今日だったので、記録しておきます。
■「答えを求めようとする呪縛」とは何か
現時点での「答えを求めようとする呪縛」とは、「意識の中で過去に縛られる」ことです。
たとえば、現在A地点にいて、目の前にBという分岐点と、B1とB2の選択肢を見ているとします。
まだB1もB2も選んでいなくても、それぞれを選んだ状態はイメージできて、どちらを選んでも後悔するイメージによって、今苦しんでいる。という感じです。
つまり、現在(A地点)から、将来の自分が過去(A地点)に対してするであろう後悔を見ています。
ですが、これは性格というよりか自然なことで、「過去に縛られる」=「悪」ではないと思いました。
田村先生の講義で「人間は過去に縛られる生き物」だと習ったことがあります。
平井先生には「記憶と知覚は相互媒介的である」ことはずっと習ってきました。
なので「まだB1もB2も選んでいなくても、それぞれを選んだ状態はイメージできて」、よって人はシステム上、「過去に縛られる」ものだと思いました。
この「システム上」を「無意識下」と捉え、「意識の中で過去に縛られる」に着地しました。
簡単に言うと、「ちゃんとしようとする」ことです。
■「答えを求めようとする呪縛」から「逃れる」ということ
「意識の中で過去に縛られる」ことによって苦しむ原因は、分岐点がひとつしか見えていないことではないかと思います。
つまり、B1とB2のどちらを選んだとしても、その先に、Cという分岐点を作ることの方が重要ということです。
新しい分岐点を自分で設けることが、「小さく始める」ということだと思います。
これを積み重ねることが解決法です。
大きな問いと答えひとつ(答えを一度に出す)ではなく、小さなと問いと答えの繰り返し(問い直し続ける)によって、答えを「求めよう」とする呪縛から逃れられるのではないかと思いました。
■「答えを求めようとする呪縛から逃れる」とは何か
この言葉は、「前向き」という言葉に言い換えられるのではないかと思います。
よく祖母は「前向き」に「笑顔」でいれば「なんとかなる」と言います。
ずっと、へぇ〜としか受けとれていませんでしたが、祖母はあのツイートと同じことを言っていたのではないかと思い出しました。
失敗しても、なるようになる。する。
(今日失敗した)