す56

自由帳

「答えを求めようとする呪縛から逃れる」とは?

記憶に残っていたツイート。

ずっと、わかりそうでわからなかったです。

 

ひとつの仮説が浮かんだ今日だったので、記録しておきます。

 

 

■「答えを求めようとする呪縛」とは何か

現時点での「答えを求めようとする呪縛」とは、「意識の中で過去に縛られる」ことです。

 

たとえば、現在A地点にいて、目の前にBという分岐点と、B1とB2の選択肢を見ているとします。

まだB1もB2も選んでいなくても、それぞれを選んだ状態はイメージできて、どちらを選んでも後悔するイメージによって、今苦しんでいる。という感じです。

つまり、現在(A地点)から、将来の自分が過去(A地点)に対してするであろう後悔を見ています。

 

ですが、これは性格というよりか自然なことで、「過去に縛られる」=「悪」ではないと思いました。

田村先生の講義で「人間は過去に縛られる生き物」だと習ったことがあります。

平井先生には「記憶と知覚は相互媒介的である」ことはずっと習ってきました。

なので「まだB1もB2も選んでいなくても、それぞれを選んだ状態はイメージできて」、よって人はシステム上、「過去に縛られる」ものだと思いました。

この「システム上」を「無意識下」と捉え、「意識の中で過去に縛られる」に着地しました。

 

簡単に言うと、「ちゃんとしようとする」ことです。

 

 

■「答えを求めようとする呪縛」から「逃れる」ということ

「意識の中で過去に縛られる」ことによって苦しむ原因は、分岐点がひとつしか見えていないことではないかと思います。

 

つまり、B1とB2のどちらを選んだとしても、その先に、Cという分岐点を作ることの方が重要ということです。

新しい分岐点を自分で設けることが、「小さく始める」ということだと思います。

これを積み重ねることが解決法です。

 

大きな問いと答えひとつ(答えを一度に出す)ではなく、小さなと問いと答えの繰り返し(問い直し続ける)によって、答えを「求めよう」とする呪縛から逃れられるのではないかと思いました。

 

 

■「答えを求めようとする呪縛から逃れる」とは何か

この言葉は、「前向き」という言葉に言い換えられるのではないかと思います。

 

よく祖母は「前向き」に「笑顔」でいれば「なんとかなる」と言います。

ずっと、へぇ〜としか受けとれていませんでしたが、祖母はあのツイートと同じことを言っていたのではないかと思い出しました。

 

 

以前言葉の意味を聞いて返ってきたもの
ケ・セラ・セラは子どもの頃よく歌っていたそう

 

失敗しても、なるようになる。する。

(今日失敗した)