す56

自由帳

『プロレス』というひっかかり(ミズノプロジェクトを終えて)

今回はミズノプロジェクトが終えて、ふりかえりのブログです。

どんな視点からのブログを書こうかと考えましたが、気づいたら原点回帰していたので、そんな視点から書いていこうと思います。

 

 

▷『プロレス』

『プロレス』とは、ゼミ面談のときに聞いた言葉です。ゼミ面談では、昨年のミズノプロジェクトを題材にゼミ生は何をしていくのかという話がありました。そこででてきたのが『プロレス』。ゼミ面談後、先生に会う機会があり、尋ねると、真正面から受け止めるといった意味合いでした。つまり、チームの中で辻褄を合わせる時間?まではとれないから、自分たちがしっかり考え、考えに深みを持つことで、ミズノさんに提案するときのプレゼンや質問に対応をするといった話でした。私はきっと、これに共感していて、憧れていたのです。なぜだろうと考えると、これもゼミ面談のときの話で、「なんでモリタゼミなの?何したいの?」といった話のときに「自立して考えを持てるようになりたい。その上でグループワークをしてみたい」みたいなことが出てきた記憶があります。『プロレス』の意味を聞いたとき、きっとここがつながって、モリタゼミに応募することを決め、合格したときに楽しみだと思ったんだなと今ふりかえると思います。

 

 

▷ふりかえり

プロレスができたのかという視点でふりかえりをしたところ、間違っていたなと思うところが出てきたので、それを記録しておきます。

できたと思う部分は、自分の作業。チーム内からでてきた発言や質問への対応。それだけかなと思います。

自分の作業というのは、深みが持つまで考えること、チーム内で共有した宿題をきちんとやること、プロジェクト中の一連の流れとチームのやりたい度?的なものを考慮した上で、自分がやった方がいいだろうなと思ったことをとにかくやるという感じです。(心理的安全性)なので、チーム内の活動において、広範囲で現状を把握しながら動けたのはとてもいい経験だったなと思います。

チーム内からでてきた発言や質問への対応というのは、反応をして次につなげるということです。すぐに「あぁね」とか「難しいね」で終わらないように、チームでの活動のときや後から電話をもらったとき、どんな内容でも、考えて何かしら形にして返していました。

プレゼンのスライド完成後は、「とりあえずやれることやろう!」と進める作業と「これでいいのだろうか?」止まる作業を同時にやる感じだったので、正直、革チームの評価?が全くわからない状態でした。(自分の視点からでも、第三者の視点からでも)

今の自分の視点では、考えとして持っていけるところまで持ってきたけど、「本当にそうなるのか?」という肝心なところへの繋ぎ目を深めることを見落としていて、安直なところに気づかなかったため、プレゼンの完成度が落ちたという感じです。

ここで間違えたな…と思うところは、プロジェクトが進むにつれ、みんながやれることをやればいいかと思っていたところです。つまり、がんばるという視点で見ていたことになります。そのため、根本的に違うんじゃないかと思ったところ以外は意見として尊重していました。このことによって、自分の中で、本来の目標とは違う目標?がうまれ、その視点からの足し算をしてしまい、ユーザー(そのペルソナ)のことを考える時間が減っていました。優先順位を間違えていたのです。途中まで気をつけていたはずなのに、どこからかこうなっていて、そのことに気づかなかったということに悔しさを感じています。

まとめると、プロレスがしたかったはずなのに、そのプロレスの良し悪しのものさしが途中からずれていて、割と考えていたからこそ、肝心なところが考えられていなかったということに、今悔しくなっているという感じです。ずれなければ、当たり前に考えるところだったので…。きっとプレゼンのフィードバックを受ければ受けるほど悔しいんだろうなと。ですが、そこでプロレスができたらとても楽しいだろうなと思います。次からは、チーム外の人からのフィードバックを積極的に受けようと思います。

 

 

▷最後に

内容の直接的なふりかえりとしては、ペルソナとシナリオのつながりと、全体的にスライドを視覚的にわかりやすくして、発表の際、今まで考えてきたことをもっとわかりやすく伝えるべきだったという点です。

プロジェクトを終え、今までやったことが勝手につながってきて楽しかったという面と、肝心のUXが厳かになっていたという悔しい面があり、微妙な気持ちです。これも含め、今までをふりかえる機会ともなったし、いい経験だったなと思います。次の活動には何があるか楽しみになってきました。

よくわからないふりかえりになってしまったけれど公開おきます。

松明は自分の手で

今回のブログでは、今週のゼミで思ったことと、その後の個人的なモヤモヤを記録しておこうと思います。

 

▷上位下位分析をやってみた

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この分析の元となったインタビューの大テーマは「愛着をもつもの」。小テーマは「長く使っているもの」といった感じでした。

 

愛着とは何か?

ゼミ終了後、「愛着をもつこと」=「長く使うこと」ではないから、もう一度「愛着があるものは何ですか?」とインタビューをやり直そうという話が出てきました。

その後、「愛着がある」という事象の中に長く使うというキーワード(切り口?)がある。だけど、全てがそう(イコール)ではないことはわかったから、じゃあなぜそうではないのかを考えよう。例えば、「長く使っている」という事象にどんな事象が加わっていれば、「愛着をもっている」と感じるのか考えてみよう。という話になりました。

今のところですが(その事象を起こした)ユーザーについて考えるというのは、そういことだと認識しています。(めちゃめちゃなんとなくで、全然わかってない)

 

ふりかえってうまれたモヤモヤ

ふりかえると「愛着をもつ」という事象を分解して、当てはまるような条件を考える作業のようにも見えてきました。条件を考えることと足し引きを考えることは同じようで違うような…いや、一緒か。と思ったり。事象と事象を足して考えることは危険だけど、欲求と欲求ならいいのかな…と思ったり。言語化してみると、なんだが法則性を求めているようで、ナンセンスな気がします。

前提として、どこまで納得(できれば共感)できるまでもっていけるのかという話だと思っているんです。

もう少しサイクルを回せば見えてくるのかなあと思っています。

 

 

▷考えてみた

今までの活動やモヤモヤを踏まえて、今の私の考えを記録しておこうと思います。

 

「愛着」→「大学愛」

ミズノさんの話を思い返すと…

商品のもつ意味(思い・ストーリー)が大事。

短期間で愛を育ませるモノをつくるのは難しいのではないか?という質問に対して、

卒業してからも触れる機会があり、何十年後「福大いいなあ」と思うのもあり。

それが、モノをつくる理由だ。

私の解釈ではこんな感じです。

これに、森田先生からの話を組み合わせると、

私たちが、ユーザーに大学愛を持たせることはできない。だけど、商品を通してだとできるかもしれない。その商品によって、いい体験がうまれるのであれば、その商品を身につけてくれるだろう。そして、新しい思い出が加わることでモノに愛着をもち、使い続けてくれるかも。そしたら、あわよくば大学愛もうまれるのでは?

と、私はなりました。

なので、これがミズノさんからもらった課題?だと認識しているのですが、大きなひっかかりがあります。

今の考えですが、私にはあわよくばにしか考えられないのです…。つながりが見えない…。

ミズノさんとの話の中で、商品が福大愛をもたせる理由の例として、「例えば九州の素材をつかっている」とおっしゃりました。その時、私は「そういうことか!」と思ったのですが、今私は「そういうことなのか?」になっています。私たちが考えているのは、いい体験をつくるためのプロダクトのはずなので、ますますつながりが見えません…。

 

モヤモヤしすぎて、論文を読んでみた

論文を読んでみると、

日常生活にあふれる多種多様なモノの一部は、所有者の認知的枠組みのなかでは、単なる物体ではなく、手放しがたい特別なモノとして存在すること、そしてそれらは所有者自身や身近な他者へと擬人化してとらえられることが実証された。

モノとその所有者のみならず、他者の存在がモノへの愛着を強化するのに重要であると考えることができる。すなわち、所有者が他者 とその所有物に関する交流をするなかで正のフィードバックを受ければ、そのモノへの肯定的感情を強めるのである。

こんなことが書いてあり、そうだよなあと思いつつ、これらを成立させるにはどうすればいいのだろう?と考えようとして、でも、それはユーザーを考えるといえるのだろうか…となり、まあ、見えるところからやっていこう。それしかわかんない。となりました。

 

今の考え(戯言ぐらい)と目の前のモヤモヤ

なんの根拠もない考え?を記録しておきます。しっくりもきてないし、フワフワです。

 

「愛着」≒「長く時間を共有している」+「ユーザーが使っているという事実」

※ 過去形でもいいんじゃないかと思います。極論、モノそのものが今はなくともいいのかも…

 

(追記)あるモノを使い続ける限り、何か(つながりのようなもの?)が更新され続けるのではないか?


今のところの共通点はこれかなあと。

思い出の品との違いもここにあると思います。

 

ポイントは認識ではなく、事実というところ。
モノの取捨選択をしてきた際に選んできた(×残してきた)という事実。

例)捨てないで使い続けているタオルには愛着はない。


それと、ある程度の満足度?はいるなあ。自分にとってのしっくり感というか。似合ってるとか、形がちょうどいいとか。あるいは、なんかいいとか。

(追記)心地良さだ!そのモノのおかげで自分自身に感じる特別な居心地の良さ。

つまり、「そのモノをもつ(あるいは使う)ときの自分が好き」という状態になるかどうか!

これはしっくりきた!結局は、好きかどうかというかところが人間らしさを感じて好きだ。肯定的な感情を抱かせてくれるか否か。それも勝手に。とてもおもしろい!!ワクワクしたあ!!

 

当たり前にもっているものにはこれがあるのでは?

たまーに、マイナスなところとか浮かばない。

当たり前にもっているものはマイナスなところも、それはそういうもんと思ってるのかなあとか。

ただ、当たり前にもっているものは愛着をもっていると認識しないだろうな…

「もっている」と「使っている」では違うのかなあ。

写真を財布に入れている人ってなんで入れてるだろう?肌身離さず?もっていることで、家のアルバムに貼ってある写真とはなんか違うと思うんだよなあ。

 

とか思っているのですが、だんだんこれが「複雑な事象に特定の原因をさぐること=不毛」に該当するように見えてきました。つまり、特定の何かを見つけることはできないのだから、わからないけれど、最終的にはいろんな事象の背景の中から、私たちが何かを基準として(あるいは何かに共感して)ビジョンのようなことを選ぶのかなあと思いました。

 

ミズノプロジェクトではなかったら・・・

もしも、ミズノプロジェクト(ミズノ×福大の商品をつくろうプロジェクト)じゃなかったら、自分が使っていたランドセルを素材にして、好きなものつくろうというワークショップ?とかどうだろうと思いました。

ランドセルを解体する時に、ショックは受けるかもしれないけれど、それが財布とか日常で使えるものにカタチを変えて、また使えたらいいなあと思いました。

 

 

▷最後に

私が読んだ論文では、大学生を対象に調査をしていて、愛着をもつ理由の選択率が高かったのは「思い出がある」「長い間所有している」でした。モノへの愛着には、記憶に関する側面が重要であるようです。

私たちの切り口は、ずれてはいないと思ったので、少しうれしい…

ですが、それと同時にミズノさんからもらった課題は何か。それに対して私たちができることは何か。というかあるのか。考えられたかは些か疑問ですが、問い直す機会となりました。

私にとって「問い直す」は間違いなく今後のキーワードです。何度でも問い直そう。

 

モノへの愛着の分析

対人関係とのアナロジによる測定

木野和代、岩城達也、石原茂和、出木原裕順

広島国際大学心理科学部、広島国際大学社会環境学

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjske2001/6/2/6_2_33/_pdf/-char/ja

 

私とは何か

「個人」から「分人」へ

平野啓一郎

https://www.amazon.co.jp/%25E7%25A7%2581%25E3%2581%25A8%25E3%2581%25AF%25E4%25BD%2595%25E3%2581%258B%25E2%2580%2595%25E2%2580%2595%25E3%2580%258C%25E5%2580%258B%25E4%25BA%25BA%25E3%2580%258D%25E3%2581%258B%25E3%2582%2589%25E3%2580%258C%25E5%2588%2586%25E4%25BA%25BA%25E3%2580%258D%25E3%2581%25B8-%25E8%25AC%259B%25E8%25AB%2587%25E7%25A4%25BE%25E7%258F%25BE%25E4%25BB%25A3%25E6%2596%25B0%25E6%259B%25B8-%25E5%25B9%25B3%25E9%2587%258E-%25E5%2595%2593%25E4%25B8%2580%25E9%2583%258E/dp/4062881721

「愛着」とは何か?

今回のブログは、プロジェクトを進めていく上で記録しておくべきだと思うことを残しておきます。

 

▷プロジェクトの流れ

共有するとき

インタビューの結果を共有するときの注意点は、事実ベースで伝えるということ。

事実ではなく「〜だと思うんだよね」と伝えると聞いた方は、〜の話にしか見えなくなってしまう。

ユーザーの根っこを見るためには、早急に欲求を決めつけたりぜすに、上位下位分析を行おう。

 

上位下位分析をするということ

それは、インタビューで得たエピソードから「モノ」の視点からの文脈をなくして、インタビューで聞いてきた出来事を事象として整理していくということ。

今の革チームの状況から言うと、モノを長く使うユーザーはどんな欲求があるかを見つけること。

これを吟味して、それに伴い必要なインタビューを織り交ぜて繰り返しながら、プロジェクトのコンセプトを見つけていこう。

 

これらを踏まえて・・・

今のところ、「愛着をもつ」という状態の一つの条件として「長く使う」という方向性で進んでいます。

例えば、インタビュー結果から出てきた「メーカーが好きだから長く使っている」という事象から「同じ◯◯を買い換えるとき、メーカーを変える理由と変えない理由は何か?」という問いが立ちます。つまり、「いったい何を長く使っているのか?」「何に愛着をもっているのか?」という問いになります。そして、うまれた問いを考えるにあたって、新しくインタビューをしながら再度考えます。

こうして、ユーザーの欲求を考えながら、ユーザーが本当に求めている体験は何かを考え、その体験をイメージさせるのに必要なモノは何なのかを考えるのかなと思いました。

ここまできて「欲求」ってなんだっけ?となりました。「事象」から「行為の目標」「欲求」へとつなげていくにあたって、納得?というかその具合がまだよくわからないなと思いました。

 

 

▷考察とモヤモヤ

今までのインタビューの結果から見てみると、今イメージする「愛着があるもの」とどこかにしまってある「思い出の品」は違うなと思いました。愛着とは、よく使うものというか日常(というその事実)からくるものように感じたのです。だから必ずしも「愛着があるもの」=「大切なもの」にはならないのもしれないなと思いました。大切にしてなくても、使っていくうちに愛着が湧いてきたりする感じです。(それって愛着と呼ぶのだろうかとも思いますが)でもこういうときって、いったい何に愛着をもつのか…。案外自分だったりして。ここら辺でまた「愛着」とは?に戻ります。「こだわり」とも違うような気がするし…。「特別」かなあ。今いちばん近いと思うのは「安心(心の平穏のようなイメージ)につながるもの」です。「こだわりの品」との違いもまた面白そうです。これもサイクルだと思うので最善のところまでもっていけたらいいなと思います。

 

 

▷インタビューの追加

以下のブログのインタビューの追加です。

 

友達の気持ち

くままとは癒し。

もともと家が好きなので、家に帰ってきて抱きつくと「帰ってきたぁ〜!」となる。

 

使っている様子のイメージ

家に帰ってきて「ただいまあ〜」と腕の中に抱える。

そのままテレビをみたりスマホを触っている。

 

くままのいいところ

ちょうど腕の中にフィットするサイズ感。

柔らかいけど、しっかり綿があって弾力?もある感じ。

顔とフォルム。

これらを合わせて癒しとなり、落ち着く感じ。

 

 

▷気づきからのふりかえり

「人に何かを伝えたり、共有するときに哲学は必要になる。」

これは、8月に参加したイベントで出会った方から聞いていた話です。当時は全く意味がわからなかったのですが、今日実感した気がします。

伝えるとき、逆も然りで、受け取るとき。小手先だけになっていました。だから、思っていた以上に伝えられていなかったし、受け止めきれていなかったんだと思いました。

なので、常に自分の頭の中で整理していったり、問いかけたりすることを意識しようと思います。誰かの話とつながったところはすぐ反応して(ここは変わらず)、モヤモヤするところはないがしろにせず、一旦自分の頭の中で考えて、質問をして再度考えましょう。そしてアウトプットしましょう。じっくり考えた方が、私の場合いい考えが出せるのではないかという考えからです。

いろんなサイクルを回そう!

大切なものって何なんだろう?

今回のブログは、本格的に始まったミズノプロジェクトの途中経過の記録です。

 

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今は1(目標の設定)のためにインタビューをやっている状況です。

 

今回のインタビューのテーマは「大切にしているものはあるか」。

愛着をもつってどういうことだっけ?といったことを探るインタビューでした。

 

 

 

▷インタビュー

友達の「くまま」

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小学生低学年の時に一目惚れして買ってもらったもの。このぬいぐるみが置いてあった場所や当時小さい妹が歩いていたなど、その時の記憶は割とあるような感じでした。

愛着度をグラフ化してもらうと、

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こんな感じで、大学生になってから愛着度がぐんと上がっています。

高校生の頃まで一緒に寝ていたようですが、布団の一部という認識だったようです。

話を聞いていると、妹の話がでてきました。大学生になってからは妹がくままを独占しているようです。高校生の頃から徐々に妹が興味を示すようになり、今ではくままはリビングに移動し、寝るときも妹と一緒です。妹は見るからにくままに依存してるらしいです。面白かったのは、友達が、妹とくままの写真をたくさんもっていたことです。遊んでいる様子や同じ寝相で寝ている様子など、なんだか面白がっている感じでした。

考えてみると、妹がくままと遊ぶようになったタイミングで愛着度が上がっています。彼女の中でくままが布団の一部ではなく、より特別なぬいぐるみになった理由は彼女本人ではなく、妹つまり周りの人からの偶然の出来事にあるかもしれないと思いました。

そういえば、これ私も持ってて、話していてお互い持ってる!となったとき、泣くほど笑ってました😂

 

祖母の「封筒」

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祖母には「大切で、捨てられないものってある?」と聞きました。祖母の年齢になるとやはり、思い出や貰い物ばかりあがりました。写真は、祖母が友達としていた文通の封筒。大切だけど、切手の部分を大胆にカットしてあるし、誰かが計算用紙にしています。なんとも祖母らしいなあと思います。他にあがってきて面白かったのは、赤いチェックのマフラー。なんと小学6年生の時のもの。つまり、嫁入りする時に持ってきたものの一つです。祖母の姉の旦那さん(当時は許婚)から貰ったものだそうです。それもクローゼットの奥深くではなく、着物がしまってあるタンスに入っていました。背景がおもしろく、当時は嫁入りしたらタンスを近所の人に見せる風習があったとか。当時19歳だった祖母はこれも入れとこうと思って、マフラーを持ってきたようです。そして今もあると。しかも年代の割にきれいな状態で。存在を忘れていたわけではなく、意図的にしまってあったようなので、まだ私には理解しきれない愛着の種類だろうなと思います。(愛着じゃないのかもしれない)うまれた問いは「きれい」とはどんな状況か?「味がある」とはどういうことか?です。

私の感想として、まず楽しかったです。思い当たるものをどんどんあげてくれて、覚えているんだなあとも思いました。祖母らしいなと思う反面、こういう人だったんだなあとも思ったり。以前から聞いてきた祖母の話と合わせながらものを見ていくと、祖母のことをより知れたような気がして、言葉にしづらいのですが、とてもいい体験でした。自分の大切なものを孫に話すってどんな感じなんだろうなあと思いました。

(追記)カタチにする、あるいはカタチにして残しておくのってなんでなんでしょう。写真とか関係あるのかな。

 

私の「せんとくん

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使う理由と愛着をもつ理由は違うんだなあと思いました。

(追記)使うきっかけも違いますね。使い続ける理由と愛着をもつ理由は同じだろうか。

 

 

▷革チームミーティングを終えて

最初のサイクルとして学生を対象にしてみよう!となりました。

 

ミーティングの流れをまとめると・・・

あるものを使う理由として、

モノ → 機能面(まだ使える、使いやすい)

ヒト → 記憶(思い出、思い入れ)

機能面が理由で使っていたものも、日常的に使うことで愛着が湧いてくる?

生活の一部となったり、安心につながる?

→ 学生に日常的に使っているものを探ってみよう!

 

まだ目標は決まってないので、とりあえず何か決めて、もっとユーザーのことを考えようと思いました!

インタビューをやってみよう

今回のゼミの内容はこの2つでした。

 

1. ミズノのプロジェクトの目標やアイデアを考える

 

先生からのアドバイス

まずポイントとなるのが、誰に使って欲しいか。

こんな人がこんなモノを使うと、こんな愛着がうまれるだろうねというストーリーをつくってみよう。

そして、そこから横展開(そのストーリーが別なモノにも当てはめられる)できるといいね。

 

私たちが話していたことをなんとなくまとめると、

福大愛が少しある人をターゲットとし、身につける習慣が付くようなモノをつくろう。革は使っていくうちに味がでてきて、愛着が湧いてくる。革の長く使えるという特性を利用すると、長く身につけることで福大愛が深まっていくかもしれない。

といった感じでした。

同じグループの子のブログにあった通り、なかなか焦点が定まらなかったという印象があります。

ですが、状況を冷静に言語化してくれる人がグループにいるということはとても心強いもので、まだフワフワだった部分が引き締まる思いです。

そのブログを読んで、このグループで自分ができる貢献や、やるべき役割は何かと考えさせられました。

 

モヤモヤ

活動したてのぎこちなさ残るグループだと、話し合いが始まる時、誰がどんな話を投げかけるのかという感じの沈黙になります。前々回は待ち、前回と今回は私が声を発したのですが、やはり難しいです。どんな人に向かってどんなテンションで何と投げかければ、話が前に進んでいくのだろうという感じでモヤモヤしています。(座る場所ってどうなんだろう…)

先ほどの貢献と役割の話とつなげると、私がやるべきではないかもしれないとも思いますし、どうなるか気になるところです。

 

 

2. 好きな〇〇についてインタビューをしよう

  1. インタビュアー : する人
  2. インタビュイー : される人
  3. オブザーバー : メモをとりながらやり取りを観察。追加質問やフォローを行う。話が長くなってきたらまとめたり、本音かどうかや沈黙の種類(嫌な質問なのか、考えているのか)をみておくのはオブザーバーの仕事。

 

《Point》

師匠と弟子モデル

インタビューの基本形。

インタビュアー(弟子)がインタビュイー(師匠)の視点で考えることができるような質問を行うこと。

 

仮説

「〇〇が好きなんじゃない?」→「やっぱり!」

と自分の幅でしか質問できなくなるので質問の段階での仮説検証モードはまだ早い。

仮説づくりのためのインタビューをしよう。

 

考えと考察

インタビュイーはその場で頭に浮かんだことを答えてしまいがち。(事実ではなく理想)

インタビューが考える質問ではなく事実がベースとなるようなインタビューをしよう。

考えや理想も大事だが、そっちだけで納得しないように。

モヤモヤとワクワク(研究は究極の遊びや!~あなたの好奇心をアップデートしよう~・[開校9周年記念授業] わたしと、福岡のまちの未来を“学び”でつくろう!)

今回はこちらのイベントに参加してきました。

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▷はじめに

まず感想として、いい意味でとてもモヤモヤしました。この2つの授業はきっと「今までになかった!」と言ったような類に入ると思います。ですが私は森田先生の研究の話は何度か聞く機会があり、以前テン大に参加したときのひとつのテーマは「学び」であり、内容は違いますが私の作業としてはもう一度考えるや、続きを考えるといった感じでした。これは私にとって不思議な体験で、イベントが終わり、ふりかえったときになんだか安心を感じたのです。誰かと楽しく学ぶ場がある安心感。一日かけて触れていった、たくさんの情報は整理されておらず、何を吸収したかもわからない状態で、その時一番残ったのはそんな感情でした。きっと再び触れたからこそ感じる感情であり、また次につなげるためのステップとして、いい感情だなと思いました。

 

 

▷問いと仮説

共有とは何か

なぜ共有するのか。これはずっとあった問いです。私は共有する理由が感覚的に掴めておらず、本音で納得できる考えが思い浮かんでこないような感じでした。ですが帰ってきて「今日は面白かったなぁ。」と思い、一日をふりかっていると「何かをずっと共有してたから面白かったのかもしれない!」となりました。私の今頭の中にある共有を言語化してみると、共有とはフィードバックをもらってこそのもの。つまり、共にその問いについて考えているということであると。質問をする意味は、相手をより理解するためだけではなく、ここにもあるのではないかと思いました。(それぞれの認識の確認のようなものであったり、自分の考えの幅を広げるもの)この考えの背景を探ると、アイスブレイクのとき、ある方に私が前回参加したテン大の授業のことと、そこでうまれた「テクノロジー時代に場に足を運ぶ意味とは?」という問いの話をしました。するとその方が、それは五感で感じて学べることだということを最後の感想のときに言われて、私ははっとし、思わぬところからフィードバックが返ってきて、「なるほど!言っといて良かった。伝えとくもんだなあ。」と思った体験しました。イベントの内容を通しても思いましたが、特にこれは大きかったのではないかと思います。今回みつかった大きなひっかかりは「共」です。共有も共感も共存も。ひっくるめてひっかかりました。大きなモヤモヤにワクワクです。

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学びの鍵は何か

今回みつかった学びの鍵は「感情」です。学びって体験を通して得た何かで、それに大きく関わるのは感情だなと思い、これにしました。学びや研究って手段のようなもので、そこでうまれる感情こそが自分の考え方や価値観に響くのかなとも思いました。この考えの背景となったワークはストーリーをきこうというワークで、まず3人グループつくり、全員が同じ視点(私たちは「話し手は何を価値や喜びとして感じていましたか?」が視点のグループでした)をもって違う人のストーリー(話し手のテーマは「テン大とわたしの歩み」)を聞きに行きます。質問はなしです。そして、3人で情報を集めてまとめて発表しようというワークでした。このワークで3人のストーリーは違えど、ネガティブな感情からストーリーが始まり、行動に移したことでそれぞれの今の自分につながったという共通点が見つかりました。特にネガティブな感情が共通していたことについて、発表を聞いた複数の方が印象的だったと言われていて、私はこのときじゃあこれってネガティブな感情といえるのだろうか。ネガティブな感情ってなんだろう。と違うことを考えていたのでそれについて深掘りできなかったのですが、これって「感情」にひっかかったという「感情」みたいなことだなあとモヤモヤがうまれました。

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テン大という場

テン大を見ていて、変わらないために変わっていくという言葉が思い浮かびました。でも、この場というのは続けてきたからうまれた場のようにも見えます。変わらないという部分は怪しく、変えないなのか、まだ出来上がってない目標のようなものなのかわかりませんが、なんとなく思い浮かびました。いろんなところで変わりたいという言葉に触れますが、よく考えるとこれって不思議です。突き詰めるとどんなことに行き着くのでしょうか。変わると続ける。テン大の場の本質ってなんだろう。グランド・ホテルの最後のセリフ「グランド・ホテル いつも変わらぬ景色 多くの人がここを訪ね 何事もなく去っていく」というひっかかり。それぞれの場の本質・意義ってなんなんだろうなあとモヤモヤします。

 

 

▷さいごに

今回のイベントでまたお会いしたい!と思った方が2人います。これもきっとテン大で出会ったからだと思います。当たり前ですが、本当に何事も選択次第だなと改めて実感した場でした。そして今、自分がその選択肢を増やしているということに気づき、ワクワクしています。今はとにかくワクワクに素直に行動しようと思います!

行動観察をやってみよう

今回はゼミの課題である、30分行動観察のブログです。

 

私が観察したのは芸術の講義です。

 

▷なぜそこにしたのか?

私は場に興味があり、以前講義をうしろから眺めてみようと思ったのを思い出したからです。

芸術を選んだのは、学年と学部が多分関係ないだろうと思ったのと、最後に感想カードを書くのですが、そのカードを提出するまでのはやさと座る場所の位置は関係あるのかなと思ったからです。

 

 

▷何があった?

時系列順に記録していきます。

12:20〜

832教室に到着。

横長で人数の割に小さな教室です。

(4人座れる席が縦に10列、横に5列ずつ)

うしろの2、3列はほぼ埋まっており、多くの人が話しながら昼食をとっていました。

私は7列目の中央に座りました。

12:40〜

1人で受けている人からピをしだす。

数えられてないですが、ピはスマホケースごとする人が多く、次に多いのが学生証を取り出してする人でした。その次がカードケースだったり財布(男子)ごとする人でした。

ピをして、学生証を直しながら席を見回します。

結局奥から埋まるような感じで座っていきました。

これもなんとなくですが、席に余裕があるうちは知り合いでなくても男女でかたまるような気がします。でも前の方はそうでもない気がします。

友達と受ける人は大体7割くらい?

うしろの3列ぐらいまでは会話を、その他の人スマホをしてる人(友達といても)が多かったです。1人ルーズリーフに何か書いてました。

昼休みに寝ていた人は1人でした。

13:00〜

講義がはじまります。

この講義ははじめに前回の復習問題があります。(試験範囲)

ここではメモをとったり写真を撮る音が聞こえます。

13:16〜

復習問題が終わり、少しざわついておさまりました。

流石に帰る人はいませんでした。

13:20〜

遅刻の人は大体ここまででした。スムーズでした。

出席人数は130人くらい?

若干女子が多め?

13:25〜

昼休みに寝ていた人が起きてました。友達は起こさないんだと思いました。

13:40〜

頭が下がりだす。

13:50〜

毎回、一曲音楽が流れます。

ここでかなりの人がうつ伏せになりました。

音楽の後、起きた人もいましたが頭は下がっている感じで手元で何をしているかは見えませんでした。

もちろん前を見ている人もいました。

14:10〜

講義が終わり、感想カードが配られはじめました。

14:16〜

1人目は1人の女子でした。それから流れるような感じでした。最初の数人は女子でした。

先生に提出した流れで今回の復習問題を床?からとって退室します。

プリントをとったまま退出する人が多く、席に戻ってカバンになおしてから退出する人は最後の方の数人くらいでした。

14:25

数人を残していなくなりました。

残った人はうしろの右端にすわっている人たちでした。

 

 

▷感想

うしろの中央に数人で座っていた人たちは前の人と比べて大きな声で話していたなと思いました。会話の内容は聞こえませんでしたが、笑い声ばかりとかではなく、会話をしていました。

前の方に座っていた人は友達といてもあまり会話はなく、スマホを触っていました。

関係があるとすればですが、これらは座っている位置ではなく、行動のはやさに関係してるのかなと思いました。

 

座る場所としては、やはり端ってなんで人気なんだろうと思います。なんか落ち着くような気はしますがなんでなんだろうか。

それと、入口やピから1番遠い端から埋まってました。落ち着かないからでしょうか。人通りが少ないところが人気かもしれません。

私は大体入口側に座るのですが、イヤホンをすることで落ち着いていたので、だからかなと思いました。

 

ピは学生証を取り出してする人が多いことが意外でした。以前、友達がニモカも反応するからと言っていたんですが、他の人はどうなんだろうと思いました。

 

講義が序盤で、先生の笑い方が少し独特で笑いが起きたのですが、これってなんで反応したんだろうと思いました。

 

moodleに講義のスライドが上がっているのに、写真を撮る人がいたのですが、いつ見るんだろうと思いました。

 

イヤホンをしている人が思ったより少なかったです。

 

遅刻をして1番前に座った人がリュックを机の上に置きっぱなしにしていたのですが、何か関係あるのかなと思いました。

 

感想カードを出すタイミングは、早い人も遅い人もいませんでした。

寝てた人は書けるのかなと思っていたのですが、見た感じ友達に聞いたりせず、自分で書いていた印象です。私が見ていた人は、作文を書く仕草に似てるなと思いました。はじめは書いて消してを繰り返し、消しゴムを回しながら考えて、書き出すという感じでした。

一瞬見えたのですが、スペースを工夫して埋めている感じでした。(思い込みかもしれません)

 

全体的に混雑がなかったことがひっかかりです。入室も本当にバラバラでずっと、感想カードを提出して退室するまでも行列は必然的にできますが、5人くらいでストレスなものではありませんでした。

退室に関して仮説として生まれたのは、感想カードを書くはやさ(内容)は提出するタイミングに合わせているのではないかということです。

これは想像ですが、多分書きたいことがある人って少ないと思います。でも書かないといけなそうな感じなので書く。だからなにかひっぱってきてなんか書く。けど内容よりもスムーズな退室の方が優先。かもしれないと思いました。

今回がたまたまな気もするのでまたみてみようと思います。

 

 

▷最後に

今回の観察はぼやっとしていてモヤモヤが小さかったので、次は個人を観察してみようと思います。同じ場に集まる人って何が似てるのでしょうか。それとも場の空気に合わせて似ていくのでしょうか。それは経験を参考にするでしょうか。ただ真似をしているのか。意識的なのか無意識なのか。ここらへんの関係性は気になりました。眠くなる空気というのも気になりました。それとこれは観察でデータをつくるのだと思うのですが、事実かどうかあやふやなところがあり、判断に困りました。事実は事実だけど事実ってなんだっけなと思いました。観察を繰り返す理由の一つの側面がみえた気がしました。ただ理解につながる観察だったとはいえないと思うので、次は質問ができる人に頼みたいと思います。