「とりあえずやってみる」は、関係者全員に調整コストがかかり、人(環境)によってはそれなりのストレスになるので危険とも言える
だが、最適化において「迷ったらGO」が最善手であることも言える
目的を共有すればいいのだろうが、それぞれ環境や感じ方が違うのだから、全員を横並びにすることは難しいだろう
よって、「どちらか選びがたい」「迷う」という状況をつくることが、GOのための最適な状況と言えるのではないかと考える
「とりあえずやってみる」は、関係者全員に調整コストがかかり、人(環境)によってはそれなりのストレスになるので危険とも言える
だが、最適化において「迷ったらGO」が最善手であることも言える
目的を共有すればいいのだろうが、それぞれ環境や感じ方が違うのだから、全員を横並びにすることは難しいだろう
よって、「どちらか選びがたい」「迷う」という状況をつくることが、GOのための最適な状況と言えるのではないかと考える
今回のブログは自分の強みについてです。36位まででるやつをさせていただける機会があったので、近況をふりかえりながら記録していきたいと思います。
まず、結果は以下の通りでした。
2年生の夏休みに一度やったことがあるのですが、そのときは、
でした。おもしろいなと思ったのは、前回とかぶっている「着想」「個別化」「内省」の順位が全て上がっていることです。これが「最上志向」か・・・と思いました。ちなみに今回「最上志向」は6位で、「親密性」は16位でした。
強みをひとつずつふりかえろうと思ったのですが、最近やっていることをふりかえると、あのプロジェクトではこの強みが活きていた、という感じではなく、1つの施策にどの要素も入っているなという印象でした。
今回の順位の変動にいちばん影響した背景は、「複数の組織に所属し、並列で活動した」だと思います。具体的には、会社に所属し、社員や他大学、他学部生と一緒に働く長期インターン、基本的に同じ大学、学部の学生のみで案件を進める長期インターン、自ら企画・開催したWS、大学の講義とオンライン化によってほぼ毎日出されるようになった課題、就活、と、今まで大学の講義とアルバイト、ときたまイベント参加ぐらいだった部分が、3年生になってからもりもりになっていった感じです。どれも新しいことをやりはじめて、次第に、自律的に自分とチームのサイクルを回すところまで経験しました。
どういう変化が起きたかというと、複数の組織に所属し、並列で活動するにあたって、まず単純にタスクが増え、ひとつのことに以前ほどリソースが割けなくなりました。意識的なリソース管理が必要になったのですが、言語化すると、時間は有限なのでそれぞれの場でよりよい時間の使い方をしないと、その場での自分の想定する満足度までいかない、という状況になりました。
この環境の変化に適応するために行なったのが越境的学習なのですが、これって「着想」「アレンジ」だと思います。自分の今の引き出しとつなげて、業務の最適化を目指す感じです。このときの目的はパフォーマンスをあげるため、よりよい時間を過ごすことなんですが、(パフォーマンスをあげる目的もまた、よりよい時間を過ごすためです。いい時間を過ごすことで、いい記憶となり、それによって豊かさを感じてもらいたいんです。なので、効率とか合理化とかある程度大事だよなというのが今の見解ですね。この仮説もブラッシュアップしていきます。)よりよい時間を過ごしたいのってみんなそうだよな、という考えにつながりました。(以前に同じことをブログに書いていたのでそれを思い出し、見返すことではっきりと自分の軸になりました。)なので、ここにいるメンバーにとってよりよい時間を探るようになります。「個別化」「共感性」を大切に、対話やインタビューの機会をつくり、課題の背景を探り仮説を立て、やってみる感じです。そしてそれらを「内省」によってサイクルを回す感じですね。自然に問いは立ってくるので回ってきます。サイクルは基本的なPDCAであったり、HCDサイクル、W型問題解決モデルを回していました。結構この一連の流れが、どの組織でもやっていたことだなというのが今回の気づきです。やっていたし、言語化、理論立てて考えていないまでも、大事にしていたような気がします。どの組織でも「内省」ができると言っていただくことが多いのですが、内省するにあたって大切にしている、無意識的につながるのが「着想」「個別化」「共感性」「アレンジ」という感じかなと思いました。
あとこれはサイクルではないのですが、「意思決定のゴミ箱モデル」によってサイクル回している感じがするんですよね。サイクルの一部(?)前提(?)にある感じです。インターン先の社員の方と話していたら「ゴミ箱に入れてごちゃごちゃにして取り出す感じです。それを繰り返していちばんいいものを探してる。」と口から勝手に出てきました。この1on1では、インターン生が本当にやりたいことを探っていたらしく、それは、価値観・情熱・才能から構成されるらしいのです。その社員の方は、まず価値観を探るつもりだったらしいのですが、今回の私との対話は才能にあたる部分だったと仰っていました。その後、ストレングスファインダーでそれっぽい結果が出たのでそうなのかなと思いつつ、「着想」「個別化」「共感性」「内省」「アレンジ」が価値観・情熱・才能のどこに当てはまるのかわかんないな、というのが現状です。どこにも当てはまるような気がする・・・。価値観=Must、情熱=Will、才能=Canでしょうか。うまく分解できず、わかりません。
今回は学びというか気づきが多かったです。気づきからの気づきとしては、案外うまく強み活かしてるじゃん、という感じです。今楽しく動けているのも納得です。なので、無意識に大事にしていることを言語化してもらったなと感じました。これをきっかけに自分の強みを論理的に説明してみようと思います。
もう4年生か・・・。今回の変化を受けて、周りの方々のおかげで、いい3年生生活が過ごせたんだなと思いました。
あと1時間で2月が終わります。2月早すぎです。時間がないので日記を書いていこうと思います。
金曜日に会社の方のインターンがありました。(ブログを書きながら、2月のW目標達成できただろうか、と思えるくらいには慣れました。)シフトは10時から19時まで。水曜以外は在宅なので、最近は案件報告会の準備などで20時とか21時くらいまで仕事することが多いのですが、その日はヒマラボが19時半からあったので、19時半に日報を書いて退勤。その後ヒマラボにて、「孤独」という感情についてと、「鬼」についての発表を聞きました。とてもおもしろく、Twitterに感想を書きながら拝聴。たまにお話もさせて頂きました。道林さんや池田さんはほぼ毎回発表されています。時間の管理が素晴らしいのだろうと思います。学び続けていらっしゃるその姿勢は、まさに理想の社会人そのものです。22時前くらいに終了し、その後、好きなブランドの新作発表があったので、Tシャツとラグランを購入し、KATインターンの成果発表会に参加できなかったメンバー(ちえちゃん)に発表会の情報共有をしました。ちえちゃんはKAT内の阿部さんの案件を一緒にやっていて、ちょうどそちらも完了したのでそちらのふりかえりの話もしました。私なりの、みさとちゃんとちえちゃんの分析結果も話しました。ちえちゃんは次の日検定があったのですが、検定いやだ〜となっていました。天神であるそうなので会いに行くことになりました。雑談が広がりに広がり、気づけば朝の5時まで電話していました。深夜はツボが浅くなってなんでもおもしろく感じます。
ちえちゃんは金曜日ゆっくり過ごしていたらしく、5時なのにずっと元気で、私が11時半に天神駅にいるなんて無理だと言っても絶対に譲りませんでした。なので、集合時間を12時にしてもらって合流しました。昼食はパスタとピザでした。お客さんが少なかったため1時間半もそのお店で話していました。ちえちゃんは私のパスタも食べてくれました。ちえちゃんは私より寝ていないのに元気でした。この日の一番の目的は、古着屋に行って、今まで着たことのないような服を買うことでした (ちえちゃんが)。その理由はちえちゃんがいいって言ったら追記しようと思います。(ここがいちばんおもしろいんですけど。)私が行っている古着屋は一軒しかないのでそこに行って、ちえちゃんは1940年代のスイスの軍服を、私はラルフローレンのシャツを買いました。その後、家の近くまで戻りカフェに入り、そこではちえちゃんの別の案件の話をしました。ちえちゃんの自転車を大学まで取りに行って、なぜか明日も会うことになり、昼はビーフシチューを、夜は餃子をつくることになりました。
日曜日、本当に今日も遊ぶのだろうかと半信半疑のまま家を出ました。集合場所にちえちゃんはいて、材料を買ってちえちゃんの家に行きました。みさとちゃんに電話をして誘いましたが、面接とESの締切と洗濯があるらしく叶いませんでした。MTGや発表会にて、ZOOMやjisti meetで会っていましたが、電話だとなんか声が違って感じました。友達のみさとちゃんという感じがしました。電話を切って、阿部さんの案件の話になり、私とちえちゃんは仕事と遊ぶ時とで立場(お世話する人?)が逆になるのが不思議だね、という話になりました。みさとちゃんはあんまり変わらないねという話にもなりました。餃子をつくっていると、餃子の皮が足りず、スーパーに買いに戻りました。ちえちゃんは仕事とその連絡をしつつ、餃子を食べたら一緒にブログを書こうと言いました。結局、餃子は山のようにできて、半分でお腹いっぱいになりました。その後ちえちゃんは爆睡しています。洗い物も既に終えたので、そろそろ帰ろうと思います。
今日は謎のブログになりました。こういう日記は久々に書いたので新鮮でした。はやくKATの成果発表会についてのふりかえりを書きたいと思います。ああ3月になっちゃった。毎月の連続更新が途絶えてしまった・・・。今回の学びはなんだろうと考えていたら・・・。今回の学びは「ふりかえりは計画的に」に決定です。
今月ブログを書いていなかったので書いていきます。ブログ開始時は、最低でも毎月1記事は書こう〜とか生意気に思っていましたが、ギリギリになっています。インターン先で出勤日は必ず日報を書くので書いた気になっていた、という言い訳はやめにして早速書いていきます。
2020年をふりかえろうかなと思ったのですが、書いていたら2月になってしまいそうなので、最近の経験をふりかえって何を学んだのか整理していきたいと思います。
今回のブログはKATでの学びを記録していきます。2020年の下半期からHP作成の案件に参加しています。1つは終了し、その直後にはじまったものにまた参加し、現在進行中です。私は進行中の案件を1つ目の案件とつなげながら参加していたので、一連の体験と言ってもいいかもしれません。今回は、主に進行中の案件をベースにふりかえっていきます。進行中の案件の参加メンバーが前回とほぼ同じだった(一人抜けただけ)というのが今回の特徴かなと思います。なので、進め方も、1つ目の案件のやり方を引き続きやっていたように感じます。ミーティングまでに宿題があって、ミーティングに持ち寄ってどれがいいか選ぶ、みたいな感じです。違ったところといえば、案件のなんとなくの代表じゃないですけど連絡役のメンバーが変わったことですが、この二人が初動から進め方の基盤を作ってくれていたなと思います。
そんな中私は何をやっていたのかというと、二人の言動を見て、それを踏まえて考えて発していました。というのも、二人は表面化された価値観や行動が似ている(音楽の趣味とかが一緒で共通言語が多い)ので、とりあえず二人について行って、二人が言っていること(ここはさすがに違っていたけれど)を踏まえて、こうすればもっとよくできるんじゃない?とかをコメントや意見として返していました。私が気になっていることは、提出するときメンバーがどんな気持ちか、完了後にクライアントの方やメンバー(もちろん自分を含めて)が提供したものより多くのものを得られるかなので、ロジックを大事にできていればそれでいいと思っています。(自己満足では自分しか満たすことができないので)
今回の私の壁だったのが、それだったらこうなるからこうした方がいいんじゃない?と言っても、単純に信頼されてないので即却下されることでした。前回の案件から、常に二者択一という考え方が根付いているので、よくわかります。なので、そうだよねと返して勝手に作っちゃって、しれっとそりゃそうするよねというところまで持っていったりしていました。前回と同じままになってしまうという心理的安全性から自分の意見を伝えるんだけど、伝わらないがために伝えるのを諦めてしまっていたのですが、心理的安全性から自分で行動して形にしたものを開示してみたら、こうした方がいいんじゃないかと思っていることが口に出さなくても全体の流れとして自然なものになっているというような感じです。(オンラインだからできたことかもしれません。)なので、変にみんなで1つのことをやらなくてよくて、それぞれ大事にしていることや好きなことがあるのだから、そこはお互い信頼し合ってタスクを振り分けることで不毛な衝突を避けられると感じました。私の中の不毛な衝突というのは、誰かが間違っているとかそういうことじゃなくてそれぞれが自分の中で捉えている問いが違うがために答えがずれたことによる衝突のことです。ある人は目的の話をしていて、ある人はそれを踏まえた手段の話をしているがそれが伝わらず、それはあなたがやりたいことでしょ!やるべきこと(目的)はこうだよ、というようなことが何度も・・・相手が認められないが故にあれやこれやと自分の話をして、まあ話がまとまらないわけです。この場合、結論をまとめるには誰かが相手を信頼し尊重する、あるいは折れるしかありません。私は前回そうしましたが、ふりかえってみると、信頼はできていなかった(尊重するよと言った)気がします。そのため、その後の進捗をどこか俯瞰で見ていて、だからこそ浮かんだ疑問点や改善点があったのですが、投げかけても無駄な時間と捉えられるだろうと伝えようとはしませんでした。前回の案件で気づいたことは、いくら自分のデータで説明しても相手に納得してもらえず、討論(討論ですらないかもしれません)になってしまうために不毛な衝突が起きることで、今回の途中で気づいたことは、口先では信頼は得られないので考えは即否定される。もっとよくするためにはわざわざこうやりたいと伝えようとせずに、勝手にやった方が結果的に実現しているということです。(二者択一の二者に、より選択肢として有効なものが残る感じです。)ここやりたいんで一人でやるのでやってきていい?と申告して承諾を得たら、私もやりたいというメンバーとじゃあここはまた予定立てよう、と具体性を高め、あのタスクはこのタスクの前にあると進めやすくなりそうだからここに組み込もうか、と言ってつなげて組み立てていく。こうやってタスクを分けていきました。このときに、タスク分けて進めようよ!と投げかけてはいけないわけです。意図や背景が伝わらずに討論になってしまい、実際にタスクを分け始めるまでに3、40分間かかる、あるいはタスク分けできないというはめになってしまいます。こうやって文章化して記録すると恥を晒しているようなものですが、学びがあったのでよしとします。考えてみると、相手を認められてないから自分が否定されたと感じるのかもしれませんね。批判的思考はよりよい方向へ進むためには必要なものですが、丁寧にやらないと自分も相手も否定とごっちゃになってしまい、結果的に相手を意固地にさせ、本来の意図とは反する方向へ進んでしまうなと思いました。あ、だから管理って必要なんだっけ。
うまれた問いは、信頼と承認の違いってなんだろう?どこでつながってるんだろう?です。心理的安全性とつながってきそうですね。信頼は得るのが難しく、承認はSNSなどで簡単に満たされるというイメージがありますが、なんなんでしょうね。承認は欲求ですが、信頼はなんなんでしょうか。インターン先の効率の鬼に、存在承認・行動承認・結果承認という話を教えていただいてそこからつながってきました。効率の鬼は博識なんです。
抽象的な話はこれくらいにして具体的な話だと、純粋にサイト作り楽しいなと思いました。メンバーが返してくれた「ちょっとわかるのが楽しいんだろうね」という言葉がしっくりきています。こういう感じでちょっとしたことも一緒に考えてくれるんだなと思う瞬間があるし、個人的で小さい問題点も投げると反応してくれて、おかげでトラブルシューティングが楽しいです。逆に、相手から投げかけられたものは諦めたくなくなります。自分のサイトも作りたくなってくるので、クライアントの方のことをもっと考えるようになったりして、モチベーション落ちにくいなと思いました。
納期まであと約2週間。引き続き頑張っていきたいです。
卒論何書こうかな・・・
旅回が無事終了しましたので、振り返っていきたいと思います。
今回のブログは主に企画や司会進行における振り返りです。
これが今回の企画の概要になります。
計画段階の振り返りはこっちです。
まず、1日目を終えての振り返りです。
こちらは企画の2人だけ集まって、嶋田さんや参加者とオンラインで繋げての開催でした。終わってすぐの感想として、ももちゃんとすごいスムーズにいったね・・・と話していました。というのも、私たち2人はオンライン開催というところに不安を感じていたからです。なので、割と細かく設計していたのですが、それにしてもスムーズだったなという感じでした。
まず感じたのは、意外とオンラインってやりやすい!でした。(前提として、参加者が知っている人(ゼミ生)で最後まで協力的な人たちだったというのがありますが。)オンラインだと、企画2人のこそこそ話というか意思疎通がやりやすく、確認がスピーディーかつ、しっかりできました。グループワークのとき質問があれば、その部屋にすぐ飛んで行けるし、スライド書きながら進めてくれたら参加者の行動が可視化されるので、進行の調整や準備ができます。あと、終了後参加者が退出しにくい問題も、一回全員(企画側も含め)退出して、質問がある人やまだ話したい人はまた戻ってきてくださいという形をとったので、大分解消されたかなと思います。もっと知りたいと感じているのか、もうお腹いっぱいだと感じているのかが見分られなくて、帰っていいですよというと帰れって言ってるみたいだし、話したい人残ってくださいというと帰りにくくしてるみたいで、ここら辺はどう伝えるか、どうしたら圧をかからないか事前に考えておけたら後から後悔しなくて済むなと思いました。(これは2日間通して感じました。)
ちなみに、1日目の問いの背景に考えていたのは、問1は、旅とは何か?問2は、人はなぜ旅をするのか?でした。
次に、2日目を終えての振り返りです。
まず2日目を終えて直後のミーティングで話して、WS設計チェックリスト(?)ができたので、まとめておきます。
旅回の特徴として、ほぼ先生の経験(具体例)からの学びだということがあげられました。何か理論から学ぶわけではないので、参加者が意識して取り組んでいないと持ち帰るものがなかったのかもしれないなと、話していて感じました。そういう意味では、WSは難しかっただろうなと反省です。(ですが、これもやってみて気づいたことなのでなんとも言えませんが・・・)私自身、前回のブログを書いているときにいちばん学びを感じました。
なので、旅回をよりよい経験にするには、抽象化する機会が必要だと話し合い、開催後のアンケートをなくし、急遽、ふりかえりシート(旅回を通して得た引き出しと、過去の経験がつながったところはどこか?と、旅回を通して得た引き出しは、今後どういう風に活用できるか?)を配布しました。これによって、ほぼ強制的にふりかえるようにし、嶋田さんにもフィードバックとしてお渡ししました。企画側へのフィードバックにもなりましたし、前年度までのブログの役割を担ってくれました。
私個人のふりかえりとしては、何かを作ろうとするときに、無意識に伝えることを諦めているなと感じました。心理的安全性から1回は話すんですけど、その反応を見て、瞬間的に、あ、伝わらないなと感じると、私が細かすぎるんかなと思い、とりあえずそれでやってみようかという方向に自分の中でシフトします。それをプロジェクトで何度かやってきて、今回の旅回で、やっぱり押すべきやな、と感じました。押すというか、そこまでいってなくて、自分の考えを最後まで伝えるべきだなと思いました。ももちゃんにそれを伝えると、私がその話となぜ繋がったのかという背景が、周りの人に伝わる前に私が納得するので、そこが伝われば話していることの意味がわかるのに、と教えてくれました。そして、私は今までの経験から、自分の聞きたいことを問いというわかりやすい(相手が答えやすい)一文にまとめるのが上手くなってる(良くも悪くも)んだと思う、とフィードバックをくれました。今回は、伝えるのを諦めてしまっている箇所ほど設計が甘さがアウトプットに繋がっていて、お互いの企画意図や内容、そもそも教養をどう捉えてる?など伝えるのが難しいところは、時間が経つにつれ、すり合わせて2人で共有できていたので、もっといい時間が作れたのになあ、と反省点がわかりやすく見えた回でした。
そして、ふりかって印象的な気づきだったのは、浮かんだことは質問しておいた方がいいということです。これ自体は、古典を学んだときに経験として学んだんですけど、そのロジック(?)として、旅回で学んだ計画的偶発性が繋がりました。どういうことかというと、そのときはパッと浮かんだというだけで意図が見えていなくても、可視化できていないだけで自分の中にちゃんと文脈はもっているという気づきがありました。いつか見えるように記録しておくと、見えるようになるものだと思います。
それと、KATインターンの上司から教えてもらった「2度言わせない」。これはその通りだなと思いました。これは旅回だけじゃなくて、別のプロジェクトと合わせても感じていました。
なので、私が次回以降気をつけていくことは、「伝えることを諦めない」と「2度言わせない」です。限定合理性という壁にぶち当たっております。
今回のブログは、旅回ワークショップを受けて学んだことを記録していきたいと思います。
企画もしましたが、今回はその場に集まったみんなの話からの学びを書いていきます。
1日目は、嶋田さんの講演と問いを投げてのグループワーク、共有とフィードバックを行いました。主なテーマは、旅人とその思考を知るです。
まず、嶋田さんの旅歴のお話しがありました。スライドに年齢とそのとき行った旅先のグラフがのっていたんですけど、年齢の軸の端が35歳でした。嶋田さんって今35歳くらいでもうすでに社会貢献というか若者のチャレンジを後押しするように動いてらっしゃっていてすごいなと思いました。旅人(嶋田さん)ってやっぱり違うんだというか、器の大きさみたいなものを感じました。旅って、行動によって自分を磨いていくっていうイメージなんですけど、嶋田さんはそこに終わらず、それを他者につないでいくっていう行動をされているところに大きさを感じました。
嶋田さんのはじめの旅のきっかけは、自分にとって〇〇(嶋田さんにとっては英語)がない人生は無いなと思ったからだそうです。人生を考えるいい問いだなと思いました。嶋田さんのメッセージとして、それが思い浮かんだらすぐに行動するといいよっていうメッセージを感じました。
そして、長期の旅にいこうと思ったきっかけは、豊かさとは何か?という問いがあったからだそうです。海外に旅をして、自分の価値軸とは違う軸で生きている人がいて、「豊かさ」の軸に揺さぶりがかかったそうです。ここで思ったのは、旅に行くこととそこで暮らすの違いってなんだろう?です。例えば、旅に行ってそこにどれくらいとどまるかは自分で決められるわけで、ここに旅に行きたい!っていうのと、ここに住みたい!っていうのは違うなと思いました。嶋田さんは旅の次の目的地は何をもって決まっていたんでしょうか・・・。聞いてみようと思います。
すごくキャッチーで面白かったのは、嶋田さんが足を骨折された際、ずっと家の近くの同じところでリハビリするのはつまらないから、ヨーロッパに歩きに行ったというお話しです。それでヨーロッパを回ってこられたそうです。物は考えようとはよく言ったものですが、本当そうだなと思いました。まさに旅人の思考だなといった感じです。
いちばん印象的だったのは、違う国には、違う土地や日常があるという言葉です。それを踏まえて、日常ってなんだろうなと考えたときに思ったのは、流れとか文脈でした。自分の知らないそれを、自分で足を運んで調達することで、それは私のセンスに繋がって、私のアイデンティティになっていくという考え方は、企画の時にあがっていた教養とはなんなのか?の答えと近いなと思いました。
だそうです。盛り沢山ですね。
この話の時に嶋田さんがおっしゃったのは、「わたしたちは普段、できることの中に生きている」でした。これがひっかかってたんですけど、2日目につながった話があったので、書いておきます。
以前、育児と仕事を両立させるお母さんの話を聞くみたいなイベントに行った時、あるお母さんが毎朝筋トレをやると言っていたのを思い出しました。それは、筋トレをすることでその日の体調がいいか悪いかがわかるからということで、いろんな自己管理があるんだなと思いました。それも自分を知るっていうことだと思っていたのですが、これって毎日やることで決まった判断軸ができてきて、それによって判断している感じです。本来できることをやって、条件分岐するといったように。これってロボットみたいだと思いました。だけど、AIは学習してるから、そうだAIって人工知能って言うんだったとなり、人間がより何かをできるようになるには、(AIみたいに)理想の状態よりできないことをできないなりにやって、サイクルを回していくしかないのかなと思いました。つまり、旅の中に学びがあるというよりか、嶋田さんのおっしゃっている旅、そのものが学習みたいだなと思いました。旅の考え方を活用することで、よりおもしろい学習をすることができそうです。
どれも魅力的な能力です。これらを旅によって身に付けた人って、温かそうなイメージがあります。これが所謂、人間力というやつなんでしょうか。
「今の自分が知らない新たな出会い」
(その時思ったことを行動することで、以前とは違う自分との出会いがあり、今まで違う思考になる。)
これはなぜか確かに、と思いました。今だってそうだなと思います。ということは、私は知らぬ間に旅をしていたんだと思います。身近なところにも学びの機会はあって、やっぱり大事なのは、その場に足を運ぶことだなと思いました。
グループワークでのメモはこんな感じでした。
こちらのミスでアクセス権限をいじり忘れたので、私が共有を聞きながら追いつく限りメモしたものです。同じ問いでも話の繋がり方はチームそれぞれでした。タイピングに一生懸命であまり話を聞けなかったのが残念でした。
こちらは対話形式だったので、切り口ごとにまとめていきたいと思います。
画像を見ながら振り返っていきます。
付箋は、ピンクが浮かんだ問い、黄色がそれ以外、青が嶋田さんの言葉になります。おおよそ、文脈に沿ってつなげています。
特に気づきがあったのは、左上にある「五感」の話です。
まず背景として、その場に足を運ぶ意味とは?という問いが浮かんだのは、以下のイベントに参加したときです。
このブログ内にその問いを書いていて、ずっと引っかかっていました。
それで別のイベントに参加した際、テーマが似ていたので、そこでその問いを共有してみました。
こっちのブログにも書いてますが、そこで出てきたのが、まさに「五感」だったのです。それで、なんかわかるような気はするんですけど、自分で文脈をつくって説明するまではわからず、モヤモヤしていました。
なので、嶋田さんの五感に関する考えと、それに対する五感と付箋に書いてくれたなえちゃんの言葉の中でまたひっかかったものができました。それは、まず嶋田さんが実際に経験した人としてない人では話し方からして全然違う。自信がない感じがすると仰って、それに対してなえちゃんが、自分も就活の面談の練習をしたとき、吹奏楽部の話をしたときだけ自信があるのが伝わってきましたと言われたのを思い出した。実際にやってみたということが自信に繋がるのはわかると話してくれました。
なるほど!なんかわかる気がする・・・と思い、じゃあ、五感で感じたことを経験と呼ぶのかな、五感で感じるって何?となりました。
おもしろいのに、言語化できずモヤモヤしていましたのですが、ブログを書いているとハッとして、それ私知ってる!と思い出しました。
それは、ゼミ面談の最終日に飛田先生に会いに行ったことです。本当なんでつながらなかったんだろう・・・と思うくらい、自分が揺さぶられて思考や行動が変わった体験でした。
まさに、1日目に聞いた通りで、今までとは違う自分になる原体験です。これを当てはめて考えてみると、「実際に足を運んで得た体験でないと、原体験になりにくいのではないか」という仮説が立ちます。足を運ばなかった体験を足を運んでみた体験と比べると、原体験まではいかず(そこまで響かないという意味)、経験で終わってしまうことが多いんじゃないかなと思いました。経験ってなんでも「よい経験だった」って言えるよなと思って、なんかひっかかってたんです。
なぜ、私が「五感」にひっかかって、わかる気はするんだけど納得までいかなかったのかわからなかったのですが、五感を通して感じるのは「私」であるというところに気づくと、あぁー、なるほど!やっと繋がってきた、となりました。五感で感じるものが薄いと、「私」まではなかなか届かないよなと思いました。
それにしても、なぜ今までつながらなかったのか・・・。ちゃんともっていたはずなのに、見えなくなってしまっていたのでしょうか。過去の体験を振り返れた、とてもいいきっかけでした。ひとつの体験の時間軸がまた伸びました。これがいいのか悪いのかわかりませんが、個人的には、今引き出しから出てきたことで、体験の満足度が上がった気がします。
五感で感じる上でのポイントって、埋没感みたいなもの?その間は「私」という雑念が消える感じ。
映画って、足を運んでるとは違うような。映画によるかもだけど、埋没感はあると思う。映画を通して、何を見てるんだろう。何を見てる(見たい)か無意識に判断してて、だから集中できるんだろうか。(雑念が消える)
ずっと見てられる景色とすぐ飽きちゃう景色の違いもそういうことかな。日常的すぎると風景を景色とは感じないから、埋没感とはちょっとニュアンス違うのかも。「日常とは違う」っていうのが、今のところいちばんしっくりくる。
人は偏見から抜け出せないのかもしれないけど、実際に動いてみて五感で感じることでそれに揺さぶりがかかることがあると思う。
聞いてみたかった付箋:「写真だけでは伝わらないものがある」「独特の圧」
1日目の旅が教えるもののところに書いてある話は、この切り口のときに出てきました。
1枚目の左下に「自分で作り出すイメージ。自分で自身を開拓していく」の付箋のように、ひとつひとつのアクションを自分で判断していくのが旅であると、旅回を通して嶋田さんから学んできました。旅をして違いを見ることで、それが自然と教養になるそうです。
そして、これを2枚目の行動と軸の話につなげてみます。ここで2つのルートがあって、軸が行動を促すか、行動が軸をつくるかです。軸を「考え」として捉えてみると、これって、前ゼミで習ったW型問題解決モデルに似てるなと思いました。
今度は軸を「私」として捉えてみると、仮面を通した「私」が行動をして、そこで学んだことが「私」に足し算されていって「私」の幅が変化していくというイメージが浮かびました。どういうことかというと、私の場合、例えば、大学の友達と話す時の自分と昔からの友達といるときの自分は違うし、場を例にしてみても、ゼミとインターンとでは違うと認識しています。何が違うかと言うと、そのままですがペルソナというか、何をどこまでどんな風に伝えようとするかとか、やってみようとするかとか、「私」の中で自然と違うルートをたどっていると思います。なぜそう思ったのかと言うと、浮かんでくる言葉が違うからです。だから、きっと旅をすると、旅先の自分と日常を過ごしている自分は違ってくるだろうと思いました。私はここに旅の魅力を感じました。なぜかというと、ずっと同じことをしていると、飽きてきて、めんどくさくなって、態度が悪くなってきそうだなと思ったからです。そして、そこでの自分の価値が下がっていく感じです。以前、嶋田さんが、旅によって自分の本質が出てきて、磨かれていくと仰っていましたが、きっと旅人の思考を使うと、その悪循環は無くなっていくんじゃないかなと思いました。
2枚目の右側に、旅を通して自分が何をしたのか、何を得たのか、そこから何を学び、努力するのか、言葉にして説明できるようになっておくことが大切という付箋があります。これってブログを書く意味と一緒です。その場に足を運ぶ意味とは?でもでてきたように、やっぱり旅って学びだなと思いました。言語化して伝えたり、何かをつくって表現するということは、人にとって永遠の営みであり、課題なのかもしれません。旅とは学びのプロセスであり、言語化や形式化することで、その学びは目に見えるものになり、自分の思いが相手に伝わることを実を結ぶと呼ぶのかもしれないなと思いました。
アンラーニングっていつするんだろう。
すごい面白い切り口だなと思ったのは、「握手とかしにくくなって仲良くなりにくくなった?」という付箋です。旅において、人と触れ合うことは学びの要素であったり、楽しみのひとつだと思うので、距離感や空気感が変わったことは影響がありそうだなと思いました。
これは、一人旅にひっかかっている人が数人いたのですが、付箋が少なかったので意外だったと話すと、難しい問いだったと伝えてくれました。確かにわかりにくい・・・。問いかけ方を間違ってしまい、ひっかかりのある人には申し訳ないことをしました。
ここで、前の空気感や距離感が変わったという話につながったんですけど、旅って一人の時間が多いイメージがあったんです。事前アンケートに書いてくれた話で、一人旅に行ってくると伝えると、「自分探しの旅ね!」と返ってきて、それにひっかかったという話がありました。どこか旅って自分と向き合うとか一人とかそういうイメージがありますが、旅人って現地にいる人と共存してて、一人ではないんじゃないかと思いました。例えば一人で移動していたとしても、周りとか見て楽しんでそうじゃないですか。話しかけたり、一緒にご飯食べたりして、その場にある何かを共有してそうです。「私」を感じるのはその後であって、まずは共存とか共有から始まるなと思い、メウロコでした。
この問いもわかりにくかったなと反省してます。嶋田さんからどういう意図でつくったのと質問が来たので、嶋田さんが旅をどう捉えているのか引き出せるかと思ってつくったと伝えたら、「今までなかった体験が旅」(右側の見切れている付箋)だと話してくださいました。
全体的に旅に終わりはないのではないか?という考えが多く、「終わりではなく区切りと捉える」など、旅に対して、長期的なビジョンをもって考えていたように感じました。おもしろいなと思ったのは、下の方にある「何も求めなくなった時」です。旅は好奇心から始まるものだと学んだので、正論だなと感じました。諦めてしまう瞬間に旅って終わってしまうイメージがあったので、言語化してもらったなと思いました。
このブログを書いていて、すごいつながってくる!と思いました。今までの経験であったり、ワーク内での話であったり、ブログを書いていくうちにつながりに気づいてきて、なんでそう思ったんだろうと聞きたくなりました。今回は、旅がテーマであり、講師をしてくださった嶋田さんも学校の先生ではなく、理論の話も少し出ましたが、主にご自身の経験をもとにお話をしてくださいました。個人的にはそれが新鮮で、全体を通して、先生と同じように見ようとするのでなく、自分と違うところを見ていくようなワークショップだったかなと思います。これは旅そのもののテーマと同じなので、いい体験だったなと思います。なぜか今、ちょっと旅をした気持ちになってます。点と線の話がたびたびありましたが、嶋田さんが点を適当に打つんじゃだめだとおっしゃっていて、それがなんでかわからなかったんですけど、今は、線で結ぼうとしなくては意味がないという意味だったのかなと思いました。これは持論ですが、わかるってそういうことだと思うし、おもしろさもまたそこにある気がします。
嶋田さんをはじめ、集まってくれた人たちが考えを共有してくれたおかげで、ワークショップでいろんな話が聞けたし、このブログも楽しく書けて、気づきがたくさん出てきました。ニュータイプな人であれ、と言われる理由を実感できた気がします。
次回は、企画としてのふりかえりをしていきたいと思います。
インターン先に、効率の鬼と言われている人がいます。
そこでは、ユーザーのインサイトを考えることが特に大事とされているのですが、その人はあまり、インサイトにこだわってはいないんだよねと話してくださいました。それを聞いて、その人が効率の鬼と言われている理由がわかったようなわからないような気がしたので、なんでそんなに効率を回すんですか?と聞いてみました。すると、買ってきた答えは「丁寧にしたいんだよね。例えば、片付いていないところがあると、片付けたくなる感じ。だから、今、考え中ですっていう状態にしたくない。だってそれって、全部の馬券を買ってるってことだから。」というものでした。え!あぁ〜、なるほど、となりました。
まず、え!ってなったのは、丁寧にしたいというところです。それって真逆じゃない?と思いました。だけど、話を聞いているうちに、サイクルを回せば回すほど、それは自然に丁寧になっていくという考えに気づいた時には、めっちゃメウロコでした。インサイトにこだわってないというのも、今ならわかる気がします。インサイトにたどり着く道が、勝手にひとつしかないと思っていた自分に気づかされました。知識の鎧ってこういうことかなと思いました。知識というか経験の鎧でしょうか。
次に、あぁ〜、なるほどと思ったのは、考え中って状態にしたくないってところです。これもはじめは、え!ってなってんですけど、それって全部に賭けてることだからって聞いたときにあぁ〜、なんかわかるかも、わかった気がすると思いました。何がわかったかというと、以前からあったモヤモヤと繋がってそれについて、それにひとつの答えが出せました。答えのない問いってなんなんだろうって思ってたんですけど、それって答えが変わるってことだと思うんです。以前だって、正解は求めなくていいっていうのもわかってたし、だけど、答えは出さなきゃいけないっていうのもわかってました。(教養祭の哲学の授業を受けてですね。)わかってたんですけど、それは頭の中の理解って感じで、理屈がわかったって感じだったんだと思います。だからそれ以上なんで?と思わなかったんです。だけど、今回の対話で、わかりやすく、そうだよな、そうしよって思えたんです。講演会の企画の体験と繋がってきて、やっぱり、手を動かしてるから進むんですよね、当たり前ですけど。(私は今まで、自分で手を動かしながら考えてやりたいことに向けて進めていくっていう体験をしっかりしたことがありませんでした。)動かさないで、こうだと思う、みたいなままだと、時間が過ぎていくだけ、延いては、相手の時間を奪っていくだけっていうのはなんかわかるかもなぁと思ったり。だから、哲学の先生が仰っていたように、やっぱり答えは出さないといけないと思います。答えを出さないといけない時って必ずあるし、というか、日頃の積み重ねから、無意識的に答えって出ている(言葉とか態度に勝手に出てくる、相手が何かを汲み取っていて、気づかないうちに出してることになってる)ものだと思うんです。だから、いくら考え中といっても答えって自分の中には出てて(この時点で答えが出てないということは、それはあくまで感想みたいなもので、考えられてはないってことかなと思います。)、それを共有するかしないかっていう話だと思うんです。そこで、大事になるのって、答えが変わることを楽しめるかどうかだなと思いました。楽しめないと、答えが出しづらくなるからです。答えが変わるってことはサイクルが回ってるってことだと思うんです。(もちろん、それを「正解」にしたいのなら、そこからもっとサイクルを回さなくてはいけないと思いますが。)それを勝手に、効率の鬼(と言われている方)の言葉とつなげると、それって丁寧にやれてるってことじゃない?と思いました。ポジティブ過ぎますかね・・・。
まあ、まとめると、効率の鬼曰く、丁寧に仕事をしたいのなら、たくさんサイクルを回す方が早いよ、ってことです。