テーマが与えられるとすごいやりやすいんだなと思った今日この頃。
ゼミ時代のテーマ『模索体力』と『実験精神』をふりかえります。
今はこの言葉からどういう思考になったのか記録。
模索体力
情報を集め続けて、状況を前に進めること。
「要するに〜でしょ」「結局、〜なだけでしょ」とか話をすり替えない、脱線しないこと。唐突にいろんなものをギュッと縮こめない。
模索体力は記憶力は依存する。
想起する力、記憶を保持する力、物事を正確に認知する力がなければ模索できない。
では、正確な認知とは何か?
素直なこと。他者からの影響を切り分けることができ、自分の本音と建前、本当と嘘が自分でわかること。
模索体力の前提には、意外と自分がどんな人かを自覚しておく必要があるのかもしれない。
好みや思考パターンと、行動パターンを切り分けて俯瞰する。口から出た言葉を手繰り寄せて、どの記憶に紐づいているのかをふりかえる。
打っていった点の中から、好きな時に好きなように線を引いて出来上がった真実は、事実でなかったりする。いづれ辻褄が合わなくなると、真実によって自分が振り回されることになる。
自分を自覚することによって、本当にそうなのかと問い直すことができる。
実験精神
ピンとこなくて、過去のブログから探しました。
実験精神とは、「小さく始めて早く学ぶ」こと。
「大きく始めてゆっくり学ぶ」と比較して、より重要なのは「早く始める」ことではなく「早く終わる」かどうかだ。
そう考えると、実験精神の敵って「早く始めて小さく学ぶ」ことのような気がしてくる。
急発車したものは、割とすぐ急停車する。
ゴールを見据えての発車ではなく、早く始めるための発車だから。辻褄の合わないことがあらゆる方向から飛び出してくる。
急発車と急停車の繰り返して迂回する。どっちを向いているのか、どこに行くべきなのかわからなくなる。
こうなると、終わらせるのに時間がかかる。
その頃には、同じノリで他のことを急発車させている。そっちの急発車・急停車に手が取られて、優先順位は下がり続け、放置されたまま残る。
急発車と急停車の繰り返しの中で、企画意図や仮説も消え去ってしまい、その時点で実験ではなくなる。
その結果、記録もふりかえりもなく、得られる学びが小さい状況に陥りやすいのかなと。
あとは、小さく始めて早く学べるものが、早く始めて小さく学ぶものに巻き込まれたり、邪魔をされたり。
とかぐるぐる考えてると、仕事の中だけで実験するのむずくね?と思ってきた。
逆に、習い事や趣味だとめっちゃできる。
効率を求めるならやっぱり金を払う必要があるのか・・・?奥で仕事として運営してくれてる人がいるからね・・・娯楽は金を払うことで得られる、効率的な充実の接種方法なのか・・・。となると、コスパとかタイパの概念めっちゃおもしろくない?次のやつ予想したい!となったところで力尽きた。
仕事と習い事・趣味の行き来の中でちっちゃく実験できてれば、そこはすごくいいところで、身の回りの人に恵まれてるってことなんだろうなと思った。